昨季まで巨人の投手コーチを務めた小谷正勝氏(74)が哲学を語る不定期連載。昨年、がんの治療で入院中に読み込んだ本からインスピレーションを受ける。

19年11月30日付の日刊スポーツ紙面
19年11月30日付の日刊スポーツ紙面

<まっすぐな道でさみしい>

放浪の俳人、種田山頭火の代表作を読んだ瞬間、球界で話題となっている「球数制限」が浮かんだ。

高校生の投げる球数は、1週間で500球を超えないこと…体を守ることは大事だが、それぞれの道があっていいのではないか。

体に個人差が出てきて、成長を大きく左右する大切な時期である。指導者がしっかりと方向付けをするという前提のもと、体に痛みが出なければどんどん投げるべきだと思う。投げれば感覚やコツをつかめるし、ひらめきも出る。ひらめきと進歩は直結している。

高校の先も野球を続ける子はいるが、トーナメントの一発勝負に青春のすべてを懸けてくる子は多い。比率で言えば後者が圧倒的で、今後も割合が変わるとは思えない。全員を一緒くたに、1つのルールで縛るのはどうだろう。

野球というスポーツをなぜ始めたかという原点を考えても、一律のルール、つまり「まっすぐな道」を「さみしい」と感じる。

子どもに始めた動機を聞くと、ほとんどが「上手に投げられたから」「打ったら、遠くに飛ばせたから」「面白いから」「好きだから」と答える。神社の石垣に向かって球投げ遊びをして、上手に投げられたから…自分もそうだった。楽しいから、暗くなるまで夢中になって投げていた。

自分が小さい頃は学童野球という概念がなかったので、小、中学生の球数について具体的な意見は控える。しかし、この若年層でも、そう神経質になる必要はないと思う。

学童野球をしている親御さんから「好きで野球をやっているはずなのに、何のためにやっているのか分からなくなる」と聞いたことがある。勝利至上主義の中で、指導者の意向が強まり「野球は楽しい」の原点が置き去りになってしまう。

「おはようございます」から「おやすみなさい」までのあいさつ。ご飯をおいしく食べる。よく遊ぶ。学校、今は塾もあるだろうが、しっかり勉強する。これらが子どもの仕事だ。野球はもちろん、遊びの中にある。この「そもそも論」をもとに少し考えてみると、おのずと球数は減らせる。

小、中学のころは野球ばかりに取り組むのではなく、遊びの延長で他のスポーツにも取り組むことを強く勧めたい。体は1つしかないので、いろいろなスポーツや遊びにトライする中で、自然とボールを投げる機会は減っていく。

バスケットボールは指先の感覚が身につく。バレーボールは全身のこなしとスパイク時のスナップ。相撲は軸の移動。縄跳びは上下の連動。サッカーのシュートは、軸足でしっかり立つことと、脱力したフリーフットでしっかり蹴り込む動き。後になって振り返ると、すべてが野球にとってもプラスとなる。

コーチ時代、深く悩んでいる選手には「原点、ふるさとに帰りなさい」と伝えていた。それはキャッチボール相手だった父親かもしれないし、一緒に遊んでいた親友かもしれない。あるいは幼少時のひらめきだったり、他の競技から得たヒントであったり、楽しむ気持ちだったりするかもしれない。野球選手に限らず、原点とは大切な場所だ。

放浪の旅に生涯をささげた山頭火だったが、数は少なくとも望郷の念を詠んでいる。

<ふるさとの言葉のなかにすわる>

(つづく)

◆小谷正勝(こたに・ただかつ)1945年(昭20)、兵庫・明石市生まれ。国学院大から67年ドラフト1位で大洋入団。通算10年で24勝27敗。79年からコーチ業に専念。11年まで在京セ・リーグ3球団で投手コーチを務め、13年からロッテで指導。17年から昨季まで、再び巨人で投手コーチ。