自分を貫き通せなかった。10月に巨人から戦力外通告を受けた田中優大投手(22)はプロ生活に後悔が残る。羽黒(山形)から17年に育成4位で入団した変則横手投げ右腕。当時投手コーチだった小谷氏(現DeNAコーチングアドバイザー)から早々にもらった言葉が今、心に染みる。「絶対フォームは変えるなよ。誰に何言われても、このフォームだけは固めておけ」。自信になる言葉だった。

退寮前日、笑顔で記念撮影に臨む巨人田中優大(右から2人目)。右から直江、1人おいて、沼田、木下(本人提供)
退寮前日、笑顔で記念撮影に臨む巨人田中優大(右から2人目)。右から直江、1人おいて、沼田、木下(本人提供)

金言を貫き通せなかった。4年間で支配下に上がれず、2軍公式戦は通算23試合に登板し、防御率3・63。苦しんだ時期の方が長かった。そんな時、リリース位置や下半身の使い方を変えてしまった。頭が整理できないまま迷走した。「言われたことをやるのは簡単。自分で決めたことを貫き通すっていうのが難しい」と今なら分かる。

苦しんだ分だけ、成長する楽しさも味わった。2年目の秋季キャンプ。紅白戦で現日本ハムの宇佐見の内角に150キロ直球を突き刺し見逃し三振。「4年間で一番しっくりきた球だった。体がマッチしてこれ以上ない感覚だった」。前日のブルペンで原監督に受けたリリースポイントの指導が完璧にハマった。ただ、感覚を維持できなかった。身長が1年間で5センチ伸び、身体のバランスを崩した。キャンプでは食事が合わず、4年間で計3度の胃腸炎に苦しんだ。

巨人田中優の年度別2軍成績
巨人田中優の年度別2軍成績

現在は地元山形に帰省し、祖父の塗装会社で働いている。週6で午前6時30分に家を出て、午後8時過ぎに帰宅する日々。野球はやめるつもりだったが、離れると恋しくなった。どこで野球をするかは未定ながら、来年のトライアウト受験にも意欲を見せる。「後悔しそうなので。やっぱり野球は良いなと。体が動くうちはやっておきたい」。もう後悔はしたくない。1軍登板の夢は、限界まで貫き通す。【小早川宗一郎】

21年巨人退団選手
21年巨人退団選手