今年4月に完全試合を達成したロッテ佐々木朗希投手(20)が、岩手・大船渡高の最速163キロ右腕として国内外の注目を集め始めてから3年になる。希代の才能と交わった若者たちは今、何を思うか。それぞれを訪ねた。

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前川真斗(まなと)さん(20)の生存本能が敏感に働いた。

「ほんと、ビックリしました。マイナス20度とか。寒さでまつげが痛くなったりして。怖かったです。ゆっくり帰ると危ないので、走ったりして」

道東の冬の厳しさは、マイナス5度の大船渡をはるかにしのいだ。夢の甲子園へと必死に投げる佐々木のサポート役をしていた当時の2年生左腕は今、釧路公立大に通っている。

19年7月、岩手大会の準決勝一関工戦で大船渡・佐々木(右)に霧吹きで水を掛ける前川
19年7月、岩手大会の準決勝一関工戦で大船渡・佐々木(右)に霧吹きで水を掛ける前川

3年前の7月は炎天下の30度超。小柄な背番号17は1番の隣が指定席だった。朗希の母陽子さんが差し入れた霧吹きで氷水をプシュプシュと、身長が30センチ近く高い大先輩の横顔に絶え間なく吹きかけた夏。

「なんかもう、神みたいな。抑えて普通に帰ってきて、ベンチでも声出して。なんでこんなにできるんだろうって。朗希さんが投げればずっと勝てると思ってました」

それがまさか。決勝の花巻東戦、敗色が濃くなった最後にマウンドに上がったのは自分だった。先輩の及川恵介捕手(現・東北学院大3年)からは「真斗と組めるの最後だから頑張ろうな」と言われ、泣きそうになって投げた。3回3失点。試合後にはよく練習をともにしていたエースからもねぎらわれた。

大学で野球をやるつもりはなかった。でも。

「なんか自分は、朗希さんがすごく頑張ってて。上から目線ですけど…活躍してるじゃないですか。自分もすごく刺激受けて」

この春、準硬式野球部に入った。でも夏前にやめた。高3で痛めたままの肩は関節唇が損傷していて、投げるたびに痛かった。

今は近所のセイコーマートでアルバイトをしながら、先輩の晴れ舞台の観戦費用をためる。普段はスマートフォンで生配信を食い入るように見る。

ロッテ佐々木朗の大船渡高の後輩、前川真斗さんはこの夏大船渡に帰省(本人提供)
ロッテ佐々木朗の大船渡高の後輩、前川真斗さんはこの夏大船渡に帰省(本人提供)

「試合前にスタンバイして。球速もですけど、朗希さんは3球以内に追い込んでいるのですごい」

セイコーマートのカツ丼を食べながら勇姿を眺め、ちょっともどかしい。

「先輩が頑張っているのに自分は何もできなくて。でも、何かやりたいなってずっと思ってて。何をしたらいいのかを探してて」

朗希さんばっかりになっちゃうんですけど-。そう前置きして続けた。「朗希さんが活躍して、自分の知ってる店とかなじみのあるものが新聞やテレビでバンバン出て、そういう影響ってすごいなと。自分も何か地元に還元できるようになりたい」。ずいぶん遠くへやって来て、不思議と地元への思いが深まる。

「自分も何かに影響を与えられるような人に」と願う。8月が終わる。来年の夏、北海道を1周するプランを描く。でっかくなる。【金子真仁】(つづく)