年月を経て、かつて取材した話の輪郭がはっきりしてくることがある。当時は価値が分からなかったことが、後に取材を重ねたことで理解できる瞬間がある。「ああ、そうだったのか~時を経て知るあのプレー、あの言葉」と題し、記者が取材ノートをひもといていく。

00年10月、ヤクルト戦で球審に抗議する横浜谷繁(左)と権藤監督
00年10月、ヤクルト戦で球審に抗議する横浜谷繁(左)と権藤監督

2010年代前半のころ。他球団からうわさが立った。「中日の谷繁は球審のストライク、ボールの判定に対する圧が強い」。当時の中日は強力な投手陣を擁し、接戦を高い勝率でものにした。圧倒的な強さの中でも、象徴的な存在が捕手の谷繁元信だった。プロ野球選手としては大柄ではないが、眼光鋭く威圧感がある。担当球団の選手ではないため、取材機会はなかった。ただミックスゾーンですれ違うこともあり、その迫力からうわさに納得感が生まれ「本当なんだろうな」と半ば自分の中で事実化していた。


それから月日が流れた。ユニホームを脱いだ谷繁さんは、日刊スポーツの評論家に。私も19年から担当することになった。評論家の谷繁さんは意外なほど気さくな人だった。屋台の出店が豊富なキャンプ地では「どれにしようかな。あれも気になるし、これも食べたいし…」と少年のようにパックの箱を両手に重ねた。ファンのサインにも時間の許す限り応じた。「現役の時はピリついていたけどね。でも引退して、ファンとのちょっとした触れ合いも、野球を好きになってもらうためにも大事だから」と居酒屋で居合わせたファンと談笑することもあった。

笑顔を見せる谷繁氏
笑顔を見せる谷繁氏

ただ「現役の時はピリついていた」のワードが心に引っかかった。“あのうわさ”の真意を聞こうと思い浮かぶこともあったが、大げさに言えばパンドラの箱のような気がして、聞けなかった。


だがある日-。同じうわさを知っていた先輩記者が、会社に評論のために訪れていた谷繁さんに“あのうわさ”を突っ込んだ。強竜の要だった人の目つきが険しく…いや、目尻が下がった。


「違うよ~! ストライクとコールされても、こっちがボールだなと感じる時は『今のはボールだと思いますよ』とか球審と会話していたんだ。もちろん、その逆でボールと言われて『ストライクじゃないですか?』ということもあったよ。でも大事なのはゾーンをお互いに確認すること。肝心な場面でさっきストライクと言われたコースをボールと言われる方が、こちらにはダメージがある。だから、正直に思ったことを伝えていたんだ」


うわさの実体は、“圧”よりも“協調”だった。確かにプロ野球最多出場を誇る名捕手のキャッチングは球審にも優しかった。ミットの捕球面を投手に狙わせるコースに、投球モーションの始動時から構える。「投手に見やすく、的を作ってあげる」と投手ファーストの側面もあるが、一連の捕球において動きが少なく、捕球時に左手の甲が立っていれば、球審からも見やすい。「谷繁捕手のキャッチングは一番だった」の声は審判員から多数聞こえてくる。


ただ、誰しもができる技術ではない。多くの捕手は1度ミットを下げて、捕球のタイミングを合わせる。谷繁さんのようにミットをほぼ動かさずに「捕りに行く」のではなく「捕るのを待つ」スタイルは簡単ではない。評論の合間に現場から指導もお願いされるが、なかなか習得できている選手は少ない。


「ボールをストライクに見せるフレーミングが注目されるけど、ストライクをボールと言われないことが自分の中では大事。球審と信頼関係を築くことを考えていた」。“圧”だと思っていたうわさは、勝利という重圧と闘い続けた捕手の、人間味あふれる“やりとり”だった。【広重竜太郎】