オリックス宮内義彦オーナー(83)の登場です。1988年(昭63)に阪急ブレーブスを買収して以来、95年のリーグ優勝、96年の日本一、04年の近鉄との球団合併など「平成野球史」に欠かせない名物オーナー。初回は、現在マリナーズの会長付特別補佐を務めるイチロー(45)とのやり取りから。イチローが51歳まで現役にこだわっていることを強調した同オーナーは、日本復帰ならオリックスと確信しています。

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オリックス誕生から、長きにわたってオーナーを務める宮内は、プロ野球界の進化を冷静に分析した。

宮内 今日までの日本のスポーツビジネスにおける第1の意義は、企業の広告宣伝としての媒体であって、利益が出ればいいなというのが第2の意義でした。残念ながら、平成はここまでで終わるだろう。だけど、平成の次は、スポーツがビッグビジネスに成りうる時代になる。そういう意味で、大きな流れとしては、これまではスローだけど、スロー・バット・ステディー(Slow But Steady)つまり、着実に、いい方向に動いてきた。

オリックスは「昭和」が最後になった1988年に関西の名門だった阪急ブレーブスを買収し、平成とともに歩みを進めた。宮内は、日本にリース業を本格的に導入し、企業の認知度を高めながら、日本経済界をリードしてきた。そんな日本を代表する企業経営者が年に1度、会食を重ねる相手が、オリックスをけん引したシンボル的な存在のイチローだ。

宮内 最近、イチローが言ったのは「ぼくは野球以外には考えられません」ということでした。こちらが「そろそろ野球人として、次のステップを考えたらどう? そういう時期だよ」と話すと、彼は憤然としてね。「そんなことは考えたことがない」と言う。「わたしは、選手としてプレーすること以外考えたことがない」「選手として、背番号51、51歳までやりたい」って。彼は選手としてのイチロー以外は考えていないようですな。

オリックスは阪神・淡路大震災に見舞われた95年に「がんばろうKOBE」を旗印に球団譲渡後初のリーグ優勝、翌96年もリーグ優勝、日本一に輝いた。「人気のセ、実力のパ」といった流れは、人気面でも清原、野茂らで潮目が変わって、イチローによって“逆流”する。

まさにパ・リーグ時代の立役者。だれもが祖国への復帰を熱望しており、宮内も「日本に戻るなら、絶対にうちで違いないと信じています」と話す。

宮内 イチロー監督? それは分かりません。だって、選手以外のイチローは見たことないですから。監督というのは、まったく別の仕事だと思います。昔のジャイアンツみたいに、川上(哲治)さん、長嶋(茂雄)さんのように、名選手が、名監督になって勝てることもあるかもしれないが、今はそうじゃない。しっかりと監督業を勉強した人でないと、うまくいかないと思いますね。その勉強をしばらくすることが前提条件です。

オリックス総帥の自室には、96年の日本シリーズで巨人を下し、グリーンスタジアム神戸で胴上げされている写真が掛けられている。

宮内 セ・パの力の差がついてきています。その大きな要因の1つは「DH制」にあると思います。米国4大スポーツ(MLB、NBA、NHL、NFL)に倣っていけば、日本は必ずビッグインダストリーになっていきますよ。

新たな時代を築くビジネスモデルに宮内の野望が秘められている。(敬称略=つづく)【寺尾博和】

◆宮内義彦(みやうち・よしひこ)1935年(昭10)9月13日生まれ、兵庫県出身。関学大卒。ワシントン大学経営学部大学院でMBA取得後、日綿実業(現双日)を経て64年にオリエント・リース(現オリックス)入社。80年に代表取締役社長。88年、阪急買収に伴いオリックス球団のオーナーに就任。00年会長兼グループ最高経営責任者(CEO)、14年からシニア・チェアマン。

マスコットを手に笑顔を見せるオリックス宮内義彦オーナー(撮影・野上伸悟)
マスコットを手に笑顔を見せるオリックス宮内義彦オーナー(撮影・野上伸悟)
96年10月、日本一で胴上げされるオリックスの宮内オーナー
96年10月、日本一で胴上げされるオリックスの宮内オーナー