オリックスがシーズンに参入したのは、平成元年の1989年だった。球団買収時の社名は「オリエント・リース」だった。「昭和」が最後になった88年、阪急電鉄が親会社だった阪急ブレーブスを買収する。

宮内 後で分かったことですが、阪急さんは経営合理化を視野に「阪急ブレーブス」「宝塚遊園地」などの赤字部門を、なんとかしなくてはいけないと考えていたようです。当時は電鉄が球団をもつ合理性が薄れていたんだと思いますね。その昔は東急も、南海も球団を保有していたが、今は西武と阪神だけですからね。

プロ野球における親会社の変遷は、日本の経済史を映し出している。その基礎を築いたのは、新聞社と電鉄だが、その後、映画、食品の業界が台頭し、スーパー、IT企業などが進出する。

阪急とオリエント・リースは、三和銀行(現三菱UFJ銀行)をメインバンクとする数社の企業の親睦会「三水会」のメンバーだった。オリックスはその傘下の企画会で、阪急サイドから直接打診を受ける。

9月。宮内のもとに、阪急が球団の売却先を探しているという情報を持ち込んだのは、後の球団社長で、大阪営業部に在籍していた西名弘明(現球団名誉会長)だ。

宮内 会社で役員たちと話をしたら、全員が面白いといって、満場一致で、やりましょうとなった。野球でもうけてやろうというより、社名も変更しましたし、広告宣伝としてこれほどいい媒体はないと当時は思ったわけです。

宮内が、主に阪急サイドと接触した人物は、後に阪急電鉄社長に就く菅井基裕だった。

宮内 オリックスの内部では秘密が保たれましたし、阪急さんもごく限られた人数で進めていたから、まったくもれなかった。だからわが家では、球団買収を発表したときは、うちの息子が驚いた。なんと冷たいおやじやと…(笑い)。

8月下旬には、南海電鉄がもつ南海ホークスは、ダイエーへの譲渡が表面化していた。オリエント・リースにとっては、格好の“隠れみの”になった。関西の名門「阪急」「南海」の球団売却は、同じ時期に、水面下でひそかに進められたといえるだろう。(敬称略=つづく)【寺尾博和】