漫画の世界のことではなかった。烏山の新チームで主将となった棚橋誠一郎は江川対策として「ピアノ」を挙げた。「スイングスピードを速くするとか、高めの球に手を出さないとか、そういう問題じゃない。あのリズミカルな投球は、もう感性じゃないと打てない。音感で運動神経を磨こうと。ピアノでクラシックを弾きまくりましたよ」。

 水島新司「ドカベン」の“リアル殿馬”が、いた。1番打者の棚橋誠一郎は、ピアノ効果? か、その後二塁打を放つなど「江川撃ち」に一定の成果を残す。烏山の1学年下の右翼手、山本登志男は「江川さんの投球を8ミリで撮影したのを見ましたが、バックスイングからリリースまで1コマだった。腕の振りがすごく速い」。同じく左翼手の瀧田典男も大きくうなずいた。烏山ナインは、汚名をすすぐために、硬軟織り交ぜた作戦を講じた。

 「ピアノ特訓」は、あながち的外れではなかった。

 作新学院OBで、2週間だけ野球部に「在籍」した、現フリーアナの染谷恵二。アール・エフ・ラジオ日本アナウンサー時代、同じ作新出身で、当時阪神ヘッドコーチだった島野育夫(07年12月15日、63歳で死去)から、「作新同士だから、特別に教えてやるよ」と、興味深い秘話を聞いた。

 「江川の野球は、ワルツなんだよね。3拍子のリズムなんだよ」。振りかぶりから、右足のヒールアップまで。体を沈みこませながらのテークバック。そして、胸を張り出してのリリース…。この投球リズムが、寸分の狂いなく繰り返され、短いインターバルから、逆スピンのかかった剛球が誕生するのだ、と熱っぽく語った。染谷恵二が「イチ、ニ、サンより、イチ、ニ“の”サンの方が、タイミングよく投げられるのでは?」と振ると「江川の“の”は、天性。最初から体に染み付いている」と返したという。

 さらに、島野育夫は続けた。「作新の校歌も、4分の3拍子なんだよね。江川のリズムと一緒」。

 「光り満ちたり 涯(はて)しなき」で始まる作新学院歌は、指揮者・作曲家の外山雄三の作曲で、校歌では珍しい3拍子のメロディーである。「ワルツ」のリズムで投げ込む江川に相対するための、棚橋誠一郎のピアノ特訓は、「目には目を…」的対抗策として、ある意味、効果的!? だった。

 これを江川に向けると「確かに3拍子だけど、校歌から思い付いたわけじゃないよ」と苦笑した。「でも…」と続けたのが「イチ」のヒールアップだった。

 「あれが江川卓独特の投げ方。でも、解説者としては勧めない。ヒールアップは疲れるし、体の上下動が激しくて、コントロールも悪くなる」。振りかぶった後、右足のかかとをはね上げる動きがヒールアップ。左足をあごの辺りまで蹴り上げるために弾みをつける一連の動きだ。

 江川は誰に聞くでもなく、このフォームを体得した。小学生の頃の天竜川での石投げで、風に乗せるため、どの角度で投げるのがいいかを探る過程で、かかとの上げ方を試していた。

 「江川撃ち」の策は、鹿沼商工でも進んでいた。2年時の練習試合で、1四球だけの「準完全」を喫した。「これで敵を討て」と、野球部後援会が奮発。巨人王貞治が使用していた「ジュン・イシイ」ブランドの高級バットを10本寄贈した。捕手で4番の早山雅之は「ヘッドを3センチほど切って短くしたバットで、振り負けしないようにした」。3年夏の県大会準々決勝でも対戦。たった1安打で完封されたが、この「あわや…」を逃れる安打は、4番が記録したものだった。

 江川にひとたび快投を許したチームはどこも、さまざまな手練手管で雪辱に動いた。

(敬称略=つづく)

【玉置肇】

(2017年4月13日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)