甲子園入りした直後だった。神戸市内の宿舎で、大野は監督の栽弘義に呼ばれた。部屋には2人しかいないにもかかわらず、栽はささやくように言った。

 「甲子園では痛いながらに工夫して投げなさい」

 痛み止めの注射はしないという意味だった。

 大野は驚いた。沖縄大会の準決勝から始めた注射が抜群の効果を発揮していた。甲子園も同様の方法で乗り切れると考えていた。

 大野 注射を打ち続けると、もっとおかしくなると思ったのかなと。僕の将来のことを案じてくれたんだと思います。

 栽はさまざまな治療法を探してくれた。整体師を呼んでくれ、はりや電気、超音波治療も試みた。当時では最先端の治療だった。

 北照との1回戦は4-3の辛勝だった。大野にとって初めて立つ甲子園のマウンドで、8回まで無失点に抑えた。4点リードで迎えた9回2死一塁から3連打を浴びて3点を失った。

 2回戦まで1週間ほど間隔があったため、治療のため1泊2日で佐賀まで行った。神戸市の宿舎では、栽が自らマッサージをしてくれることもあった。

 医療だけではない。栽の夫人を介し「宇宙の力をため込むシール」と言われたエスパーシールをグラブや体に貼った。霊媒師に会って、「ご先祖さんの墓をきれいにしなさい」とも言われた。痛みに麦が効くと聞けば、煮詰めた麦を紙にちりばめて作った「麦湿布」を右肘に巻いた。

 大野 やれることは何でもやろうと。オカルト的なこともやったけど、痛みが和らぐことはありませんでした。ただ、これだけいろんなことをやってもらって、栽監督には感謝しかないです。

 新聞などでは、大野が右肘に不安を抱えていると報じられていた。だが、チームメートは新聞も読んでおらず、相変わらず深刻な状態とは知らなかった。主将の屋良景太が振り返る。

 屋良 倫が何度も監督の部屋に入っていく姿は見てました。エースだから、監督も話があるんだろうなと。この頃も故障とは思っていませんでした。僕らの中では「調子が悪いなぁ」という認識でした。今思えば、あり得ない変わり方なんですけどね。高校生の僕らでは気付けなかった。

 各チームが初戦を終えると、雑誌などで各エースの球速ランキングが特集される。大野が下位にランクされていることが、チームメートの中で話題になった。「あいつ、疲れているのかなぁ」などと話し合ったが、故障の可能性に触れる選手は1人もいなかった。

 2回戦の相手は明徳義塾だった。3月に右肩を痛め、ベンチを外れた末吉朝勝は負けると思った。末吉は今、沖縄水産でコーチを務めている。

 末吉 大野の状態から見て、「もうここで負けるだろうな」と思っていました。試合前に部屋の荷物を片付けて、沖縄に帰る準備をしていましたからね。

 明徳義塾戦で大野は5点を失った。だが、打線は14安打で6点を奪った。4番の大野も2安打2打点と打撃で挽回した。

 大野は失点するが、打って勝つ。それがパターン化されてきた。この頃、チーム内では合言葉ができた。(敬称略=つづく)

【久保賢吾】

(2017年6月27日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)