吉田らは、2年春のセンバツ甲子園に出場している。エース石田文樹、中島彰一、下田和彦、佐々木力、桑原淳也、そして吉田。6人の2年生が試合に出た。吉田は秋季大会は三塁手だったが、甲子園では捕手を務めた。

吉田 中島が肩を痛めてね。捕手で初の公式戦が甲子園だよ。もう捕るのに必死だった。石田は140キロ出ていたし、スライダーがよかったからね。でも、オレは肩が強かったし、リードもよかったと思うよ。

センバツは1回戦で泉州に5-6で敗れた。試合後、監督の木内幸男は「ウチは未来のチーム。選手はよくやってくれた」と語っている。夏の茨城大会は4回戦で佐竹に負けた。

ここから彼らの時代になる。木内は、キャプテンに吉田を指名した。

吉田 中島かと思っていたら「吉田やれ」と言われた。理由も何も説明されない。あとで伝え聞いたところだと「責任感を持たせないと学校をやめてしまう」と考えていたらしいよ。

木内 一番手に余るヤツがキャプテンになって「オレがやんなきゃ」と思えば、いいチームになるから。真面目なのをキャプテンにしてもダメなの。チームに芯がなくなっちゃう。一番きかないので、みんなに一目置かれているのがいい。

木内は取手二を日本一に導いた後、常総学院に移った。ここでも2度の全国制覇を果たしている。

木内 日本一に3度なったけど、どれも「こいつがキャプテンなら勝てる」と思えた。取手二もね、吉田というキャプテンがいたからだよ。

しかし、すぐに事件は起きた。主将として初めて迎える対外試合はバスに乗っての遠征だった。吉田は、副主将の下田と集合時間に1時間以上も遅れた。

吉田 前の日の夜、当時付き合っていた彼女の家に泊まっていたんだ。そこが下田の家に近かったから、朝2人でバイクに乗って学校へ行った。間に合うと思っていたんだよ。でも、時間を完全に間違えていた。当たり前だけど全員そろってバスに乗っていた。

この日は吉田の父俊夫がバスを運転する役目だった。父は時間通りに到着しており、周囲から「息子はどうした?」と質問攻めにあっていた。だが、息子は外泊しており答えられない。

吉田は、さすがに木内に叱られると思った。だが、下田とバスに乗り込んでも何も言わなかった。ひと言「さあ、行くぞ」と口にしただけだった。

下田 オレはあの後、副キャプテンを外されたんだよ。中島に代わった。一緒に遅れたキャプテンは何もなかったのにね。

吉田 この日の試合でオレはホームランを打った。下田は打てなかったから外されたんだよ。

そう言った後、吉田は当時を思い出すように遠くを見つめた。

吉田 そういえば、あの時の彼女は本当にかわいい子だったなあ…。

秋の茨城大会を制した。千葉県で開催された関東大会も、決勝で明野を2-0で下して優勝した。2年連続のセンバツ出場を確実にした。この頃にはプロのスカウトがグラウンドを訪れるようにもなった。(敬称略=つづく)【飯島智則】

(2017年12月3日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)