箕島(和歌山)を春夏4度、全国制覇に導いた監督、尾藤公は、甲子園を離れれば猛将だった。自身も箕島野球部で高校3年間を過ごした長男強は、苦笑を浮かべる。

 おやじといえば「尾藤スマイル」といわれていたときに、練習試合の相手が驚いていたことがありました。「スマイル」と思って来てみたら、サングラスかけたおやじがバチバチバチって暴れてる。「うそやろ~」って。

鉄拳も辞さない厳しさで、たたきこもうとしたものがあった。

 バントの心やと思います。自分を犠牲にしてチームに何ができるのかというところを追求していたように思う。それは人間・尾藤公の言葉だったように思うし、野球部の先輩、人生の先輩でもあるし。フォア・ザ・○○というのはよく言ってました。

「フォア・ザ・チーム」の心を監督・尾藤が追い求めたのは就任1年目、66年6月の事件がきっかけだった。忘れた腕時計を取りに戻ったグラウンドで、上級生が下級生を殴る現場に出くわした。頭に血が上り、上級生に殴りかかろうとしたときだった。相手のおびえた表情を見た瞬間、目にしたものがある。自分のゆがんだ顔であり、怒りに任せて相手を殴ろうとする、ただの鬼の顔であった。

尾藤は全部員をグラウンドに座らせ、部のあり方への意見を聞いた。そして、考え方の違いにあぜんとした。

尾藤 フォア・ザ・マイセルフの選手ばかり。フォア・ザ・チームの気持ちを持った者など1人もいなかった。みんなが喜び合える方向に持っていかんとあかんのやないか。ボール拾いでも打撃投手でも裏方業でも一生懸命にやって、みんなが1つになって勝利を目指せる。そんなチームを作らんといかんのやないか。それが監督の自分の仕事やと気付いたんです。

野球部OB会に請われて引き受けたが、尾藤は監督業は3年と決めていた。3年後の人生にも目を向けていた。だが全身全霊をかけてチームを率いる自覚がその瞬間、芽生えた。だから、鬼になろうと決めた。暴力をふるう鬼ではなく、厳しさも情も併せ持つ存在であろうと。

猛将は読書家でもあった。グラウンドを離れれば、むさぼるように本を読み、教え子にも強にも本を勧めた。

 子供のときでも学生のときでも、本読んでたら喜んでた。人生で体験できることなんてしれてるけど、本読んだら知らん世界とかのぞけるし、絶対に自分のためになるからいろんな本を読めって。

尾藤の実体験からだった。最高指導者として中国共産党を率いた故毛沢東氏の「毛沢東語録」を読んで、気付いたことがあった。

尾藤 「組織された5%は未組織の95%を動かし得る」という言葉を読んで、なるほどなと思った。「フォア・ザ・チーム」の気持ちに通じるものやと思えたんです。

大好きな読書を通じ、尾藤は表現手段や知識を養った。そして人の心の機微を読む力も、尾藤の才能だった。(敬称略=つづく)【堀まどか】

(2018年1月3日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)