昨年2月、八重山高校の取材に伺ったとき、歌の上手な選手と出会いました。

チームメートに促され、私の前でアカペラで歌ってくれたその選手。ワンフレーズずつで2曲。あまりの上手さにすっかり聞き惚れてしまいました。

 その選手が、沖縄出身のアーティスト、BEGINのボーカル、比嘉栄昇さんの息子、舜太朗君だと知ったのは、取材が終わった後のことでした。

 その後、ずっと気になっていた今春、あらためて八重山高校を訪ねました。

顔もお父さんソックリ! 明るくてチームのムードメーカーだそう
顔もお父さんソックリ! 明るくてチームのムードメーカーだそう

 現在八重山高3年の舜太朗君。昨年1年間は生徒会長を務め、生徒会行事などで練習に参加できないこともありましたが、この3月で任期を終え、現在は最後の夏に向け毎日、元気に練習に参加しています。


 お父さんの影響で、生まれたときから音楽に囲まれた環境で育ち、自身も6歳からドラムを始めました。しかし、小学校3年のとき、近くに住んでいた友達から誘われ野球チームへ。

 「お父さんも小学校のときに野球をやっていたそうで、応援してくれました。ツアーから帰ってくるとしばらく家にいるので、小学校の頃はよくキャッチボールをしてもらったり、一緒にバッティングフォーム考えたりしてくれて。楽しかったし、それがあったから野球が好きになったと思います」(舜太朗君)

 中学1年途中までは当時住んでいた浦添市で野球に没頭するも、トレーニングについて行けず退部。その後、しばらくは音楽に熱中。一家は実家のある石垣島へ移り住み、舜太朗君も八重山高へ進学しました。そこで、大きな出会いが待っていたのです。


 1年時の国語の先生が、当時の野球部監督だった仲里真澄先生でした(この春から中部農林高へ異動)。仲里監督は、2010年に八重山高校監督に赴任後すぐの春の大会で22年ぶりのベスト4へ導き、2013年には夏の大会ベスト4へ。沖縄県では若き指導者として期待の監督です。

「高校では音楽に専念しようと思っていたんです。でも、真澄先生は有名だったので、どんな野球をするんだろう? どんなトレーニングをするんだろう? と、興味が沸いてきたんです」(舜太朗君)

 当時を振り返り、仲里監督も「授業が終わると、いつも野球の質問をしてくる生徒がいたんです。それが舜太朗でした。よっぽど野球が好きなんだなぁと思っていましたね」と印象が強い生徒だったようです。

 -野球が好き-

 封印していた気持ちが一気にあふれ出し、仲里監督の勧めで野球部に入部したのは1年夏のことでした。

「実は、当時は運動をしていなかったので太っていて。ピーク時には109キロもあったんです(笑)。だから、夏のトレーニングは本当にキツかったですね」(舜太朗君)

 しかし、ここでくじけずに練習に付いていけたのは、仲里監督とチームメートの存在があったから。

 「真澄先生が、野球は個人の力では勝てない。キツイ練習こそ、全員で乗り越えよう! と、言ってくださったんです」(舜太朗君)

 後ろでバテている舜太朗君に、先輩たちが口々に「一緒に頑張ろう!」と声をかけてくれました。

「真澄先生と先輩がいなかったら、トレーニングについていけなくて辞めていたと思います。メニューはキツくても、練習の雰囲気は楽しかった。だから、ここまで続けられたと思います」(舜太朗君)

 困っているときこそ助け合う。練習の中で、それぞれが磨いた人間性から見出す野球の素晴らしさ。それを、舜太朗君はここ八重山高で学びました。


 現在はベンチに入ると、貴重な代打として。また、ここというところでの伝令役。ムードメーカーとしても欠かせない存在です。ベンチを外れると、スタンドでは持ち前の音楽センスを生かし、太鼓で応援団を引っ張っているそう。


 「もちろん、甲子園に出られたら素晴らしいことだと思います。でも、自分は正直、それがすべてだとは思っていないんです。みんなと野球ができる今、この瞬間が楽しい。キツいことすら楽しく感じられる環境を、自分の心の中に遺しておきたいんです」と楽しそうに話す舜太朗君。「今」を精一杯生きる姿が、生き生きとして見えました。


 高校卒業後は音楽の道へ進むという舜太朗君。沖縄県の夏の大会が始まるまであと約2ヶ月です。

「全力でこの大会に向かって、完全燃焼したいです! そして、将来は、野球の経験を通して曲を作ったり、それを聞いた人たちに喜んでもらえたらいいなぁ、と思います」(舜太朗君)


 いつか、再びこの歌声を。きっと、舜太朗君にしか書けない歌が奏でられるはず。その日が楽しみです。