高知・須崎市内で、明徳義塾(高知)・馬淵史郎監督(59)を取材した。土地勘のないこちらを気遣い、夫人が運転する車で迎えに来てくれて、取材場所に向かった。車中で監督は「まだ、消せんのよ」とつぶやいた。昨年9月2日に亡くなった済美(愛媛)・上甲正典監督(享年67)の電話番号だった。

 「なんか、電話をかけたら上甲さんが出てきそうな気がして、削除することができんのよ。おそらくお嬢さんが持っておられて、電話をかけたら出てこられるんだろうけど、なんか上甲さんの声が聞こえるような気がして。『おーい、そろそろ練習試合やらんか』って」。そう話しながら、自身の携帯電話を見つめていた。

 1年前もそれぞれの夏の大会に備え、練習試合をしていた。それが済美は愛媛大会で敗れ、ひっそりと上甲監督は入院していた。亡くなる直前、愛娘の夕美枝さんに請われて病床の上甲監督を見舞った数少ない知人の1人だ。昨年9月4日の葬儀では、涙にくれながら「天国で奥様と大好きな温泉に行かれて下さい」と弔辞を読んだ。愛媛、高知と県は違っても、練習試合でともにチームを鍛え、しのぎを削ってきた間柄。02年夏の馬淵監督初の全国制覇を支えた恩人の1人だろう。

 歯に衣(きぬ)着せぬ言動が持ち味だが、周囲、特に年長者への気遣いの行き届いた人だと親しい人たちは馬淵監督を語る。その気遣いは、相手がこの世の人ではなくなっても変わることはないのだと感じた。【堀まどか】