下関商は相手の守備の乱れにつけ込んでリードを奪い、得意の継投で逃げ切った。

 監督の長男でもある佐々木主将は「次の塁を積極的に狙う自分たちの野球ができた。この1球、この1勝のために何ができるかを考えて練習してきた成果が出ました」。1963年には池永投手を擁して春優勝、夏準優勝を果たした。当時のOBもネット裏で見守る中、20年ぶりの選手権出場を決め、「(伝統校の)プレッシャーは感じなかった。ユニホームの『S』の文字が僕たちに見えない力を与えてくれる、と思っていました」と話した。

 継投時期など、采配がぴたりはまった佐々木監督も同校OB。「選手たちは今日も平常心でやってくれた。甲子園のグラウンドからアルプスを見る感動を選手に味わって欲しい」(朝日新聞)

 ◆下関商 1884年(明17)、赤間関商業講習所として開校。1948年(昭23)から現校名の市立共学校。生徒数635人(女子448人)。野球部1898年創部。部員数50人。夏は20年ぶり9度目出場で1939、63年に準優勝。春は14度で63年優勝。OBに池永正明(元西鉄)ら。所在地は下関市後田町4の11の1。新屋道春校長。

◆Vへの足跡◆

1回戦11-0宇部フロンティア大香川

2回戦3-1下関中央工

3回戦4-2早鞆

準々決勝8-1徳山商工

準決勝10-0宇部商

決勝5-1下関国際