大阪桐蔭との準々決勝から一夜明け、大冠の挑戦を6回コールドではね返した。「昨日の試合後は、今日のことは今日で忘れてあとをしっかり戦おうと選手たちに話しました。あとは気力しかないですから」。山本監督の気力は選手1人1人に伝わっていた。

 初回、敵失から1点を挙げ、さらに二塁打で追加点への突破口を開いたのは田端拓海主将(3年)。3回は右前打で2点追加への口火を切った。6回は9点目の適時打を放った。「絶対に勝ちたかった」のは苦い故障の記憶からだ。

 2年秋の近畿大会府予選4回戦で、田端は大冠のエース吉田大喜(当時2年)から右手人さし指に死球を受けて骨折。3歳上の兄良基は大阪桐蔭の4番だった12年春に花巻東(岩手)・大谷翔平(日本ハム)から右手首に死球を受け、選抜大会2回戦以降を欠場した。「兄もそうだったけど、ケガで野球をやれないつらさがわかりました」。思いが実った3安打1打点だ。

 山本監督は社会人の阿部企業、韓国プロ野球の太平洋ドルフィンズでプレー。練習こそ成長への力と信じ、長時間の基本練習で選手を鍛え、逆境をはね返す力を作り上げた。春夏通じて初の甲子園へ、あと1勝で大阪偕星学園が夏の主役になる。【堀まどか】