滝川二(兵庫)が劇的勝利で、3年ぶりの夏1勝を挙げた。同点の9回、結城宝内野手(3年)がサヨナラ打。

 18人で校歌を歌うチャンスを、結城が運んできた。同点での9回1死一、三塁。初球だ。内角高め直球をシャープに振り抜いた打球は右前で弾んだ。「うれしい。初球から思い切っていこうと思っていた」。サヨナラ打に笑顔が輝いた。

 追い求めたスイングだった。「内角を開かず、うまく回転して打てた」。中学時代、毎日ネットに向かって3時間ティー打撃を打ち続けた。結城の自宅の庭には、横6メートル×縦2メートルほどのネットが設置されている。同じ朝日中に通い、連日結城の家に行って一緒に午後5時から汗を流した次打者の青木が証言する。「コンパクトで無駄がない、きれいなスイングができるようにこだわっていた」。友との地道な努力は、大舞台でのV打につながった。

 試合後の整列がかなわなかった友もいた。6回無死一、三塁で一塁走者の山名が、併殺を狙った送球を顔面に受け、救急車で病院に運ばれた。その場面、二ゴロに終わったのが結城。「フライを打っていれば…。心配です」。決して結城のミスではないが、心に残っていたようだ。

 もう1つ。1点リードの8回の守備。自らの一塁悪送球の失策で同点に追いつかれていた。「エラーして同点になったので絶対に打ってやると思っていた」。ただ、後悔を引きずってはいなかった。直後の8回裏。結城が二塁走者のとき、中越ベンチは3番手雪野を送り込んできた。実はデータがなかった投手。「スライダーのブレーキが利いていた」。そのときから直球狙いに定めていた。

 9回、結城の直前にサヨナラ機をつないだのは、山名と交代で出場した山根の左前打。山本真史監督(56)は「山根は必死で練習する子。うれしかった」。不祥事で春の県大会出場を辞退した滝川二。野球ができる喜びを、友との結束を、全員が聖地で体現した。山名と一緒に校歌を歌う勝利に挑む2回戦は14日だ。

 ◆結城宝(ゆうき・たから)1997年(平9)6月24日、兵庫・姫路市生まれ。小学1年のときにソフトボールを始め、当時は三塁手。朝日中では硬式の姫路アイアンズに所属し、三塁と遊撃を守る。2年時にタイガース杯で甲子園を経験。滝川二で昨秋からレギュラー。家族の宝物という思いを込め「宝」と名付けられる。家族は両親と弟。173センチ、62キロ。右投げ左打ち。

 ◆滝川二のサヨナラ勝ち 滝川二は夏の大会通算6勝目だが、このうち3勝がサヨナラ勝ち。過去2度は99年1回戦の東邦戦(6-5)と同3回戦の長崎日大戦(3-2)。