鶴岡東(山形)が花咲徳栄(埼玉)に敗れ、初の8強入りを逃した。それでも、甲子園初登板初先発の右腕松崎祥弥(3年)が、7回2/3を6安打1失点と快投。援護に恵まれなかったが、昨夏ケガの影響で内野手から投手に転向した苦労人が、最後に聖地で力を出し切った。

 背番号10松崎が最後に最高のピッチングを見せた。初めての聖地のマウンドにも「緊張しなかった」。初回から得意のスライダーがさえ、3者凡退。6回まで散発2安打無失点と快投を続けた。だが7回裏1死一、三塁から「スライダーが抜けてしまった」。やや真ん中に甘く入った球を中前に運ばれ1点を失った。「自分の力は出せた。試合はつくれたけど、試合に負けたら意味はない」と悔しがった。

 ベンチに入ったのはこの夏の山形大会が初めてだった。本職は二塁手。昨夏、練習中に打球が口元に当たり、歯茎が折れ、歯が3本抜けた。それを機に、打球を捕るのが怖くなり投手に転向した。その時、母恵里佳さん(39)にはこうメールを送っていた。「最後まであきらめないから、最後まで応援して」。投手は小学生の時に少し経験したのみ。ハンディがある中「自分がいけるところまで」とにかく投げ込んだ。

 この夏、県大会直前に背番号18をもらうと、エース左腕福谷優弥(3年)に次ぐ、3戦15回2/3、3失点の活躍で優勝に貢献。今では松崎の力をチームのみんなが認めている。佐藤俊監督(44)は「ずっと調子が良かったので、いけるところまでいこうと。よく頑張ってくれました」。捕手の竹本大輝(3年)も「一番良かった。あいつは晴れ舞台に強い」とたたえた。

 8回裏、2死から四球と右前打で一、二塁のピンチになったところで、エース左腕福谷優弥(3年)にマウンドを譲った。小、中も同じチームで一緒にプレーしてきた福谷から「ナイスピッチング」と声をかけてもらったが、「すごく悔しかった」。最後まで1人で投げきりたかった。

 幼い頃から、おしゃれをするのが大好き。中学生の時に、美容師になる夢を固め、高校卒業後は地元大阪で見習いを始めると決めていた。だが甲子園に来て、心が揺らいだ。「野球を続けるか迷ってます。このままで終わっていいのかな」。甲子園は思い切り腕が振れる「すごくいいグラウンド」。もっと野球をやりたいと思わせてくれる場所だった。【高場泉穂】

 ◆松崎祥弥(まつざき・しょうや)1998年(平10)1月6日、大阪・阪南市生まれ。小4から福島グリーンズで野球を始める。尾崎中では泉南ボーイズに所属。鶴岡東では3年夏からベンチ入り。173センチ、68キロ。右投げ右打ち。家族は両親、兄。