センバツ初4強の明豊(大分)は、1967年(昭42)津久見の優勝以来、大分県勢52年ぶりの決勝進出はならなかった。初回に主将の表悠斗内野手(3年)の先頭打者アーチを含めて3得点。最高のスタートを切ったが、逆転負けを喫した。川崎絢平監督(37)は「相手は派手さはないが、したたかなチームで、粘り強さがある、辛抱強いチームでした」と3回のダブルスチールなど、相手の攻撃に脱帽だった。

2回以降、7回まで3安打無得点だった。「相手バッテリーが配球を変えてきた。それに対応できなかった」。変化球中心のリードは分かっていたが、追加点を奪えなかった。表主将は、甲子園初アーチも勝利に結びつかなかった。「初回からチームに勢いをつけたかった。でも2回以降は、少し打撃が雑になってしまった」と笑みはなかった。同点で迎えた8回に決勝アーチを浴びた2番手の大畑連投手(3年)も「自分の甘さが出て球が浮いた」と下を向いた。

川崎監督は、少し遠くを見つめながら思いを口にした。「甲子園でいろんなタイプのチームと対戦できた。それに選手は対応できたのは夏につながる。今日の試合ではまた課題ができた。謙虚に、したたかに野球に取り組めば夏また甲子園に戻ってこれると思う」。4試合、明豊野球を甲子園で表現した37歳の春。青年監督は、少し見え始めた夏全国頂点への思いをギラギラさせていた。【浦田由紀夫】