13年秋季全道高校野球小樽地区予選で、1年生だけの野球部員5人にスキー部、帰宅部の助っ人4人を加えて臨んだ双葉(現小樽双葉)が、3戦連続コールド勝利で、代表決定戦まで勝ち上がった。

ワイドショーで取り上げられ、書籍になるほど話題になった即席ナインの進撃から7年。小樽双葉は今秋の全道高校野球小樽地区予選初戦で、昨夏まで2年連続甲子園出場の北照を撃破し、勢いに乗る。4年ぶりの秋全道切符を目指し、19日の3回戦で倶知安と対戦する。

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初戦敗退の危機を救ったのは、スキー部の蔦有輝中堅手(2年)だった。小樽桜陽との1回戦、4回表に1-3と逆転される。2度の捕逸で失点を招いた三上真司捕手(1年)がうなだれる。静まるベンチの中で、蔦が声を上げた。「まだ、ここからじゃないか!」。その裏、その蔦が、渾身(こんしん)の左越えソロを放つ。

先発していた尾崎勇哉(1年)は今春、道内の大学を卒業し札幌市内の自動車ディーラーに就職した。

尾崎 パスボールで少し雰囲気が悪くなっていたが、蔦さんの言葉と、あの本塁打でムードが一変した。僕も、気持ちを切り替えてマウンドに向かえた。

助っ人弾が呼び水となり4回裏に一挙9点。尾崎は4回以外無失点と好投し、初戦を突破した。3回戦まで3戦連続コールド勝ち。代表決定戦の相手は、その年のドラフトでオリックス入りする左腕斎藤綱記を擁する北照。0-10の完敗も、この漫画のような進撃はテレビの全国放送で扱われ、萩原晴一郎氏の著書「放物線のキセキ」にもなった。

1年生主将だった西谷勇輝は「野球部は1年生だけで、秋は経験を踏めればぐらいの気持ちだった。でも全国大会を目指しているスキー部の蔦さんたちからは、負けたくないという姿勢を強く感じた」と言う。

双葉は07年春に、東海大四で01年春センバツを経験した長谷川倫樹監督(37)が就任。10年春に3季通じ初の道大会進出を果たす。だが、学校方針の転換などで11年秋から一気に部員減に。13年春の時点で3年生5人、1年生5人で2年生ゼロ。単独出場困難な秋に備え、長谷川監督は3年生引退後、高校総体王者も輩出する強豪スキー部の玉川祐介監督(39)にお願いして、野球経験者3人を助っ人に加えた。さらに主将の西谷が、春に一時、体験入部していた帰宅部の倉地大世(1年)に声をかけ、ようやく9人がそろった。

大会の約10日前に、初めて全員集合。臨んだ札幌琴似工との練習試合は、スキー部3人で組んだ蔦ら外野陣が、慣れない硬式球の対応にてこずり、10点差以上つけられ、惨敗した。

蔦 悔しくて監督に頼んで、スキー部3人で早出して外野ノックを受けた。オフの日はバッティングセンターで打撃練習していた。

帰宅部の倉地はバットを持っていなかったので、自宅の庭にあった角材で素振りをしていた。尾崎は「僕らが知らないところで練習していたことを報道で知った。今でも感謝しています」と話した。

蔦は14年1月の全道高校スキー大回転優勝。法大では3年の全日本大学選手権回転で3位に入るなど活躍した。昨春大学を卒業して現在、東京都内の不動産会社に勤務している。大学でスキーは引退。「野球に誘ってくれたおかげで、いろんな経験ができた。必死でやってきたことは必ず人生に生きる」。“スーパー助っ人”は何事にも全力を尽くすことの意義を、社会に出て、より強く感じている。(敬称略)【永野高輔】

○…進撃効果で13年秋の大会後、帰宅部だった倉地が入部し、翌春には一気に16人の新1年生が入る。徐々に力をつけ尾崎らが引退後の15年秋、地区代表決定戦で北照に0-1と競り合うまでに成長。16年には夏の南北海道大会初出場、秋も初の全道大会出場を果たした。長谷川監督は「13年秋が大きな転機になった」と話す。昨春の小樽地区代表決定戦では北照から公式戦初勝利(14-9)。今秋の地区初戦では北照に5-3と競り勝ち、全道進出へあと2勝に迫っている。