今春センバツ準優勝の明豊が大分舞鶴を下し優勝した。明豊ナインは“呪縛”から解き放たれたように、感情を爆発させた。エースの京本真投手(3年)が、捕手の簑原と真っ先に抱き合った。マウンド付近に歓喜の輪ができた。4年ぶり7度目となる夏の甲子園出場。京本は「もう1度甲子園のマウンドに立てるんだ」と、興奮気味に話した。

最速146キロ右腕は、わずか3安打で完封。「逃げずに抑えることができた。落ち着いて、冷静に投げられたと思います」。今春の九州大会ではコンディション不良でベンチ外を経験した。それでも「1度冷静になって、背番号1を勝ち取るため、焦らずにトレーニングをしました」。復活したエースが決勝戦で完封劇。「報われました」と、白い歯を見せた。

川崎絢平監督(39)に「明豊史上最弱世代」と呼ばれたナインは、今春のセンバツで準優勝。ただ、その栄光は“呪縛”と化した。「最弱世代」が強豪校の看板を背負い、自分たちを追い詰めた。主将の幸(ゆき)修也内野手(3年)は「プレッシャーがすごかった。大分では絶対に勝たないといけないんだと」。自分たちの野球ができず、勝つことの難しさを痛感した。

重圧に打ち勝てたのは、悔し涙のおかげだった。センバツ決勝で東海大相模(神奈川)に9回サヨナラ負け。幸は相手が歓喜に沸く姿の写真を、スマホの待ち受け画面に設定した。「あの日を忘れてはいけない」と必死にバットを振った。サヨナラを許した京本は、練習試合のマウンドでフラッシュバックが起きた。そのたびに「甲子園を想定して、ピンチや満塁の場面でも逃げずに投げてきた」と腕を振った。大分の頂点に立ち、呪縛は解けた。

川崎監督は「甲子園ではのびのびと好きな野球をやってほしい」と願う。リベンジの舞台はつかんだ。今度こそ優勝旗を大分へ持ち帰る。【只松憲】

<優勝への足跡>

2回戦 3-2大分雄城台

3回戦 10-2大分工

準々決勝 9-2柳ケ浦

準決勝 12-0藤蔭

◆明豊 1999年(平11)に別府大付と明星の学校法人合併で発足した私立校。生徒数は495人(女子267人)。創部は別府大付時の52年で部員は96人。甲子園出場は春5度、夏は7度目。19年春はセンバツ4強で、21年春にはセンバツ準優勝。主なOBはソフトバンク今宮健太、ヤクルト浜田太貴、ソフトバンク特別アドバイザー城島健司氏ら。別府市野口原3088。岩武茂代校長。