甲子園に春夏8回出場の神港学園(兵庫)が17日、神戸市内の同校で阪神・淡路大震災の追悼集会を行った。27年前は2カ月後の3月にセンバツ出場で8強。初戦の仙台育英(宮城)戦で決勝アーチを放った小林世拓(ときひろ)氏は息子、恒燿(こうよう)内野手(2年)に当時を伝えた。

「父に『電車もバスも通ってない。大阪から自転車で通っていた。いろんな人が家がなく道ばたにいた』と聞きました。練習以前に練習できる状況じゃなかったと。自転車で3、4時間かかっていたと思います」

恒燿はYouTubeで見た父の勇姿に憧れて、同校に進学した。本塁打の記念球は京都・長岡京市の自宅で触った。震災やセンバツのこと。自身が生まれる前の話を、主将の神頭玄(かんとう・はる)内野手(2年)らに伝えた。

震災後、練習再開まで1カ月以上かかった。選手は避難所で畳運びなどを手伝った。北原直也監督(42)は当時、中学3年生。父光広氏(68)が同校監督を務め、近くで見てきた。「携帯電話もない時代。部員の安否確認を1週間から2週間、朝から晩まで。家にある水をカゴに入れて自転車で持って行っていた」。当時の様子を生徒に伝えた。

神戸市の東遊園地で行われる「1・17のつどい」のボランティアを03年から継続。全員で15、16日に竹灯籠などを並べて、黙とうした。神頭は「人一倍、祈って、こぶしを握りしめる人もいた。生きていけるのも両親たちの支えあってこそ。感謝したい」と話した。北原監督も「気持ちをつないでいくのが大事です。やっぱり人、なんです」と言う。忘れずに思いを継いでいく。【酒井俊作】