<全国高校野球選手権:慶応8-2仙台育英>◇23日◇決勝

 

慶応・森林貴彦監督(50)が、うれし涙をこぼした。「エンジョイベースボール」を掲げた「森林野球」が、全国の頂点に立った。大好きな野球を仕事に選び、豊富な経験と知識を積み重ねて、選手たちとともに高校野球の改革を突き進んできた。その第1幕が最高の形で幕を閉じた。

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最近の森林についてはメディアからの情報しか知らない筆者がこのような記事を書くのもおこがましいが、慶応高校野球部の同級生ということで、高校時代を思い出してみたい(同級生なので敬称略)。

森林は塾高(慶応高校の関係者は母校のことをこう呼ぶ)時代、鉄壁の守備を誇る遊撃手だった。当時、二塁手だった筆者はベースの向こうの彼の守備を「本当にうまいな」と感心しながら見ていたものだ。今でいえば源田(西武)のように、そこに飛べば安心という存在。ただ、派手さはなく、あくまで基本に忠実。そのあたりは実直な人柄にも表れていると思う。ちなみに打撃は普通だった(失礼)。

塾高には裕福な家庭の「ボンボン」も多いが、森林も大まかに分類すればその1人だったと思う。だが人当たりが良く、相手を上から見るようなところもない。そのあたりの人柄の良さは甲子園でのインタビューにも表れていたと思う。

塾高を卒業後、我々の代から筆者も含めて数人が慶大野球部に入部した。しかし森林は大学では野球を続けなかった。彼は大学に通いながら塾高野球部のコーチとなった。就職後も、脱サラをして慶応幼稚舎の先生になるなど、自分の夢を明確に持ち、そこに向かって行動できるところは、本当に素直にすごいと思う。

とはいえ高校時代から先頭に立って人を引っ張るタイプでもなかった森林が日本一の指揮官になるとは夢にも思わなかった。日焼けした彼の顔に刻まれたしわの数のように、社会人になってからも日々多くのことを吸収してきたのだろうと想像させた。【千葉修宏】