絶対王者、明豊は今年もやっぱり強かった。決勝で大分舞鶴に12-6で圧勝。夏の大分大会の連勝記録を20に伸ばし、県勢初の大会4連覇で夏の甲子園10度目出場を決めた。最速147キロエース野田皇志(こうし、3年)が9回148球を投じ“志願の完投勝ち”。計7安打6失点(自責4)も、心身ともに成長した背番号1が1人で投げ抜いた。

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明豊ナインが一斉に飛び出し、マウンドへ駆け込む。歓喜の輪の中心で右手の人さし指を突き上げていたのは、エース野田だった。

「目標でもあった甲子園にまた行ける。うれしさでいっぱいでした」

8点差で迎えた最終回。1点を返され、なおも無死満塁だった。「ここで代えられるわけにはいかない」。後続を遊ゴロ併殺で1点を失うも、2死を奪った。最後も遊ゴロ。9回148球の熱投だ。チームは県勢初の大会4連覇を飾り、夏の大分大会はこれで20連勝。夏の甲子園は10度目で、3季連続出場を決めた。

志願の完投だった。7回終了時で球数100球超え。8回表の攻撃時。川崎絢平監督(42)から「代わるか?」の問いに首を横に振った。「嫌です。自分が最後まで投げます」。9回を7安打6失点(自責4)。計5四球も、要所で三振を奪うなど8奪三振で応えた。

2年秋の“事件”が成長のきっかけになった。授業中の居眠りで川崎監督から大目玉を食らった。「怒られて…」。野球以前に人間性をモットーにするチームにあってはならないこと。昨秋の県大会直前でエースナンバーを剥奪された。自らを見つめ、普段の練習に対する姿勢から変えた。「みんなと一緒ではダメ。誰よりもグラウンドに早く来るようにしている。授業中も寝ていません」。精神面でたくましくなり、背中でチームを引っ張る存在になった。

常に危機感と隣り合わせにある。現チームの部員数は85人。1、2軍のようなカテゴリーはなく、大会前を除けば横並びで練習に励む。「自分の代わりはいくらでもいる緊張感がある」と川崎監督は言う。野田も「誰が投げるか分からない。でも、甲子園でも自分がエースとして投げていく」。名門の1番を背負うプライドを胸に、聖地での快投を誓った。【佐藤究】

◆野田皇志(のだ・こうし)2006年(平18)9月20日生まれ、和歌山県御防市出身。小学2年で湯川少年野球クラブで野球を始め、湯川中では御坊ボーイズに所属。明豊では1年春からベンチ入り。好きなプロ野球選手はオリックス中田惟斗。50メートル走6秒5。遠投120メートル。176センチ、82キロ。右投げ右打ち。

◆明豊 1999年(平11)に別府大付と明星の学校法人合併で発足した私立校。生徒数は572人(女子303人)。普通科、看護科がある。野球部は別府大付時の52年創部で部員数は85人。甲子園出場は春6度、夏は10度目。19年春に4強、21年春は準優勝。主な卒業生は今宮健太(ソフトバンク)、浜田太貴(ヤクルト)ら。所在地は大分県別府市野口原3088。岩武茂代校長。

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