<高校野球岩手大会:盛岡大付5-4花巻東>◇24日◇決勝◇岩手県営

 盛岡大付のエースで4番の「二刀流」松本裕樹投手(3年)のクールな表情が崩れた。最後の打者を三ゴロに打ち取ると、仲間にもみくちゃにされた。「勝って泣いたのは初めて」と、涙が止まらなかった。昨夏の決勝、同じ花巻東に6回途中7安打5失点と打ち込まれ、敗れた。13年春、センバツのマウンドに立ったが「自分の代では甲子園に行ってない。絶対負けたくないと思った」と高ぶっていた。だが5戦連続先発の疲れで「体が重かった」。違和感のある右肘に7回からテーピングをして、9安打4失点でしのぎきった。

 本来の投球が出来なかった代わりに、バットで勝利を導いた。1回裏2死三塁では「打った瞬間、いったと思った」と右翼席上段へ高校通算54号となる2ラン。4回表に自らのボークなどで3失点し、逆転を許す。「あれで負けるわけにはいかなかった」とネジを締め直した。1点を追う5回裏2死一、二塁で右翼寄りのシフトを見透かすように左中間へ2点適時打を放ち、試合をひっくり返した。

 小6の時、神奈川・南瀬谷ライオンズのエースとして70試合以上に登板し、負けたのは1度だけ。神奈川では「あいつと当たったらやばい」とうわさされる投手だった。地元の強豪校の誘いを断り、盛岡大付に進んだのは「親元を離れ、自分を鍛えたかったから」。母末江さん(41)との連絡は差し入れのお願いだけ。幼い頃から水のように飲む牛乳を送ってもらい、今でも飲み続けている。恵まれた体格とパワーの秘密だ。

 中学時代からの夢、プロ野球の世界へ入るためにも「甲子園に行かないと始まらない」と思いは強かった。済美・安楽智大、前橋育英・高橋光成と、同学年の好投手が敗れ去った。「県大会と変わらず投げたい。勝って、長い夏にしたい」。最速150キロ右腕が、甲子園の主役になる。【高場泉穂】

 ◆盛岡大付

 1958年(昭33)に生活学園高校として創立の私立校。63年に女子校から共学へ。90年から現校名。生徒数は483人(女子172人)。野球部は80年創部。部員110人。甲子園出場は春3度、夏は8度目。OBにソフトバンクの三浦翔太。所在地は盛岡市厨川5の4の1。赤坂昌吉校長。◆Vへの足跡◆2回戦30-0水沢農3回戦6-1一関一4回戦7-2盛岡中央準々決勝5-3盛岡四準決勝2-0盛岡三決勝5-4花巻東