<高校野球大阪大会:大阪桐蔭9-1PL学園>◇30日◇決勝◇舞洲

 大阪桐蔭が、1983~85年PL学園以来、史上2校目となる大阪3連覇を果たした。決勝でPL学園に圧勝。桑田真澄、清原和博のKKコンビを擁したPL学園以来の快挙を成し遂げた。2季ぶりに乗り込む甲子園。ドラフト候補の香月一也内野手(3年)らを軸に2年ぶりの全国制覇を目指す。

 今年も大阪桐蔭の夏になった。舞洲の空に両腕を突き上げた完投勝利の田中誠也(2年)に向かい、ナインが走る。香月、峯本匠(3年)、森晋之介(同)ら、昨年の甲子園メンバーが泣いていた。「まじめに一生懸命やってきたチームでしたから、どうしても夏は甲子園を経験させたかった。選手が替わる中でよく(3連覇と)つないでくれました」。西谷浩一監督(44)も声を震わせていた。

 PL学園と10年ぶりの決勝顔合わせ。2回に10人攻撃で5点を先制し、6回に正随(しょうずい)優弥外野手(3年)が2ラン。7回は峯本の適時打でダメ押し。投打で圧倒した。

 秋季近畿大会府予選で履正社にコールド負けした昨年9月25日は、チーム再生へのスタートを切った日でもある。5季連続甲子園出場が断たれた日の3日後、野球部寮の風呂場など選手が共同で使う各所に履正社戦を伝える紙面が張り出された。「夏は必ず甲子園へ、と思い続けた冬でした」(峯本)。屈辱の記憶が大阪の夏3連覇の原動力となった。

 周囲の支えもあった。石田寿一コーチと控え部員はライバル校のデータを収集。対履正社、対PL学園など学校別のデータを用意し、選手と研究を重ねた。打者の得手不得手な投球のコース、打球方向まで割り出す緻密なものだった。

 臨んだ大阪大会3回戦・大冠戦で、精神的支柱の中村誠主将(3年)が鼻骨を骨折。主将離脱に目の色を変えたのが香月、峯本ら甲子園メンバー。「オレらがしっかりしないと」。峯本は3本塁打を含む4割、香月は4割6分7厘の高打率で打線をけん引。それでも決勝後、香月は「まだ納得できる打球が打てない。情けない」と涙を流した。

 大阪制覇の昨年7月の決勝の夜も、1、2年生は練習していた。歩みを止めない大阪桐蔭の強さ。「決勝でPL学園に勝てたことを誇りに思います」と西谷監督。宿命のライバルに勝ち、夏の舞台に今年も立つ。【堀まどか】

 ▼12、13年の大阪桐蔭

 12年の大阪桐蔭は、藤浪晋太郎、沢田圭佑の投の2枚看板を擁し、センバツ初優勝。夏も大阪決勝で履正社に競り勝ち、甲子園出場を果たした。甲子園では藤浪が圧倒的な投球を見せ、準決勝で明徳義塾(高知)、決勝で光星学院(八戸学院光星=青森)を連続完封して優勝。13年は前チームから正捕手の森友哉が主将になり、春夏と前年から4季連続で甲子園に出場。夏の1回戦は森の2本塁打などで日本文理(新潟)に圧勝も、3回戦で明徳義塾・岸潤一郎(当時2年)に要所を締められ、敗れた。

 ◆大阪桐蔭

 1983年(昭58)創立の私立校。生徒数は2323人(女子921人)。野球部は88年創部で部員数58人。甲子園出場は春6度、夏は8度目。春は12年、夏は91、08、12年に優勝。主なOBは西武中村剛也、日本ハム中田翔ら。所在地は大東市中垣内3の1の1。寺川国仁校長。◆Vへの足跡◆1回戦9-0千里青雲2回戦7-3豊中3回戦9-4大冠4回戦8-0阪南大高5回戦14-0箕面東準々決勝5-1上宮準決勝6-2履正社決

 勝9-1PL学園