15歳で沖縄を飛び出した日本ハム上原健太投手(24)が、プロ野球選手として、故郷に凱旋(がいせん)した。この日、特別なマウンドに上がった同投手の思いに潜入した。

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 幼少期、プロ野球は「別世界」だと思っていた。上原は沖縄本島のうるま市で生まれた。小学生の時、初めてプロ野球選手に会った。父・健さんに連れられて足を運んだ、阪神の宜野座キャンプ。チーム宿舎の非常階段を降りてきた鳥谷に、帽子にサインをしてもらった。興奮はわずかだったと、記憶が残っている。

 上原 正直、興味なかったんです。野球選手は人種が違う。目の前でプレーしているのが変な感じ。生まれながらにして野球選手になることが決まっているような“貴族レベル”だと思っていた。

 沖縄・西原高で監督を務めていた父に勧められ、自身も野球を始めた。高い身体能力と素質はすぐに開花。地元では目立つ存在になり、思った。沖縄で育った自分は、井の中の蛙(かわず)ではないか。プロ野球をはじめ、本州の人たちの「日常」を「別世界」と片付けてしまっていいのか。「世の中の見方や考え方、(自分が思う)世界の広さが合っているのか分からなくなった」。高校進学を機に野球留学を決意したのは、沖縄から飛び立ち、外の世界に実際に身を置いてみたかったからだった。

 「のんびり屋のお前が、県外でやっていけるわけがない」。周囲からは猛反対された。その反応が、反骨心を生んだ。広島の広陵で甲子園に出場し、明大からドラフト1位でプロ野球へ。努力を続け、夢の舞台に飛び込んだ。

 そしてこの日、地元で凱旋(がいせん)のマウンドに立った。「納得のいく投球ではありませんでした。地元の応援には、どうしても応えたい気持ちはあった」。5回4安打1失点の奮闘。勝ち負けは付かなかったが、その姿を見て、可能性が広がった沖縄の子どもたちがいたかもしれない。【田中彩友美】