阪神俊介外野手(34)が16日、西宮市内で会見を行い、涙ながらに今季限りでの現役引退を表明した。09年ドラフト5位で入団し、1年目に自己最多の124試合に出場。広い守備範囲や俊足を生かしたバイプレーヤーとして、タテジマ一筋12年で奮闘したが、近年は若手の台頭もあり出番が減っていた。気掛かりは近大の後輩で、不振で2軍調整が続く佐藤輝明内野手(22)。幾度も声をかけ続けてきた後輩の復活を期待し、温かいエールを贈った。

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俊介は涙をこらえきれなかった。「ここ1、2年が苦しかった。ずっと肩の調子が悪く、守備もろくに就けない状態だった。自分の中で守備を抜かしてしまうと野球じゃない」。高山や近本ら若手の台頭もあって、19年、20年と1軍出場は10試合未満。今季は1軍出場がない。武器だった守備でも力を発揮できなくなり、8月に引き際を決断したという。

俊足好打の外野手として、1年目に自己最多の124試合に出場。その後も代走や守備固めなど、バイプレーヤーとして、チームに欠かせない存在になった。2年目の4月の中日戦では、自身の盗塁死で代打金本知憲の打席が完了せず、連続試合出場を1766でストップさせたこともあった。「良いことも悪いこともたくさんあった。楽しい野球人生だった。悔いはありません」。タテジマ一筋12年をそう振り返った。

気掛かりは不振で2軍落ちしている近大の11学年下の後輩、佐藤輝だ。「誰にでもこういう(苦しい)時期は来ると思う」。プロの壁に当たっている姿を思いやった。入団時から、ことあるごとに声を掛けてきた。今季は1、2軍で別調整だったが、佐藤輝の降格で、この1週間は一緒に過ごした。「頑張ってもらいたいし、また豪快なバッティングを見せてもらいたい。頼もしい後輩なので」。後輩とはいえ、同じ外野手で自身を追いやった1人。だが、心根の優しい男は、温かい言葉で背中を押した。

ウエスタン・リーグ25日のオリックス戦(甲子園)で、引退セレモニーが行われる。谷本球団副社長は「タイガース一筋でやってくれたということを、評価している。何らかの形で報いたい」と感謝。ユニホームを脱いだあとも、球団で役職を用意する考えを明かした。

会見の最後、俊介は涙をふいた。「最後までやると決めているので。しっかりと前を向いて後輩たちの見本になれるように」。チームは9試合を残し、この日ソフトバンクからウエスタン・リーグの首位を奪い返した。俊足巧打の“走る稲妻”は、優勝の瞬間まで戦い続ける。【前山慎治】

◆俊介(本名・藤川俊介=ふじかわ・しゅんすけ)1987年(昭62)8月17日生まれ、福岡県出身。広陵から近大を経て09年ドラフト5位で阪神入団。10年には新人でチーム唯一の開幕ベンチ入りを果たすなど、自己最多の124試合に出場。11年は初の開幕スタメンをつかみ、俊足と広い守備範囲を誇る外野手として、代走や守備固めを中心に幅広く起用された。13年に西岡剛の加入で入団当初の背番号7から68に変更。17年自己最多の4本塁打。同年FA権取得も、宣言せずに残留した。通算849試合で打率2割4分9厘、86打点、9本塁打。178センチ、77キロ。右投げ右打ち。