40代も半ばになって、町中で泣くとは思わなかった。それも真っ昼間に。
久しぶりにオールスターを取材した。福岡で行われた第1戦の前、ある場所へ足を運んだ。平和台球場跡。大学で上京するまで福岡で過ごし、ダイエーファンだった私には思い出が詰まっている。ただ「跡地」に来るのは初めてだった。だだっ広い芝生の奥には、球場取り壊しのきっかけとなった遺跡・鴻臚(こうろ)館の展示施設。球場は跡形もなかった。これを見せつけられるのが嫌で、避けていたのかも知れない。
ふと、フラッシュバックした。90年7月25日。平和台球場で行われる最後のオールスターを、中学生だった私は明治生まれの祖父と見に行った。初めてのオールスター生観戦に興奮したが、悲しかったのは、ダイエーから選出されたのが山本和範さん1人だけだったこと。地元なのに。万年Bクラスの弱小ぶりを示しているようで悔しかった。
だが、悔しさはすぐに吹っ飛んだ。2番DHの山本さんが打席に立つと、それまでセを応援していた人も含め、みんな一斉に山本さんの応援歌を歌い始めた。
「大空にはばたく 山本和範 豪快な打球を ぶちかませよ」
地鳴りのようでゾクゾクした。4打席凡退で迎えた8回裏、四球を選び、二盗、三盗まで決めた。単純な中学生は「すげー」と思ったが、今なら分かる。バッテリーが空気を読んでくれたのだろう。新聞を見返したら、阪神中田さんと巨人の山倉さんだった。さらに「すげー」は続く。パを率いる近鉄仰木監督が粋だった。9回表、山本さんのDHを解除し、右翼、つまりパの応援団に一番近い守備位置に就けた。仰木さんが好きになった。
そんな記憶が“現場”を訪れ一気によみがえった。それは野球って面白いという原体験であり、亡き祖父と共有した時間でもあった。東京に住む年月の方が長くなった者の郷愁も混じっただろうか。変わり果てた風景を見ていると、どうしようもなく泣けてきた。【古川真弥】



