野球殿堂博物館は18日、今年の殿堂入りメンバーを発表し、アマチュアとプロの両方で審判員を務めた谷村友一氏(故人)が特別表彰で選ばれた。

特別表彰は、アマや審判員を含めて野球発展に顕著な貢献をした人が対象となる。初回投票では有効投票の75%以上を満たす該当者がおらず、11年以来の再投票が行われた。富沢宏哉氏、尾藤公氏との3氏による再投票の結果、78・6%にあたる11票を得た谷村氏が選出された。プロ野球審判員経験者の殿堂入りは8人目となった。

谷村氏は同志社大を卒業後、高校、大学、社会人野球の審判員として活躍。一般企業勤務から31歳でセ・リーグに入局し、歴代17位の通算3026試合に出場した。通知式には次女の松村和佳子さん(66)と孫の米井林太郎さん(34)が出席。和佳子さんは「父は長く、心から野球を愛した生涯でした。この上ない名誉をいただいたと思います。心からお礼を申し上げます」と話した。

公正であろうとした人だった。生前、自宅では新聞を宅配で4紙取っていた。だが球界で何かトラブルが起こると、駅売りや版違いの新聞を追加で和佳子さんに買いに走らせた。「書いている方もカメラ位置も違うので。1社のものだけではなくて、それらを見て初めて、考えたり判断をしていました。そういう姿勢だから、長年審判をやっていけたんだなと」。晩年も「東京版を買って送ってくれ」と頼まれていたという。

ルールには常に厳しかった。2人の娘は、それぞれ別の学校に通っていた。「姉の学校とは学則も違う。両方の規則を覚えていたようで、(違反があると)それはダメでしょと。アウト~みたいな、そういう感じはしましたね」。家でも“審判”だった。

22年7月に94歳で逝去。妻の壽美子さんも昨年8月に93歳で亡くなった。谷村氏は一般企業を退職してプロ審判に転身する際、反対を予想して周囲に相談しなかったという。和佳子さんは「母なら理解してくれると思ったんでしょう。周りの方とは10年近くキャリアが違うわけで、そこに追いつく、技術を学ぶということに心血を注いでいました。それだけ懸けるものがあるのは幸せ。殿堂表彰で報われたというんでしょうか。母も、サポートしたことをすごく喜んでいると思います」と代弁した。

◆谷村友一(たにむら・ともいち)1927年(昭2)8月22日、米ニューヨーク生まれ。同志社大を卒業後、一般企業に勤めながら52年の都市対抗野球に京都クラブの二塁手として出場。その後、大学、高校、社会人の審判として活躍。58年夏の甲子園では延長18回引き分け再試合となった徳島商-魚津戦の三塁塁審を務めた。59年にセ・リーグ審判員となり、NPB在籍33年、歴代17位の通算3026試合に出場。97年から00年まで全日本野球会議審判技術委員会委員。02年初版の全日本野球協会発行「審判メカニクスハンドブック」発刊にも尽力した。22年7月に94歳で逝去。