「阪神タイガース私設応援団」の生みの親で「ひげの団長」として親しまれていた松林豊さん(83=兵庫県西宮市)が9月に亡くなっていたことが7日分かった。

 関係者によると、戦後間もないころから「阪神タイガース」と記した応援旗を観客席で振り始め、30年ほど前に私設応援団の初代団長に就任。1987年に引退するまで応援の先頭に立った。

 阪神が優勝した85年には、松林さんらが自分たちを称して口にした「トラキチ」が流行語大賞の銀賞に選ばれた。

 8月まで甲子園球場で観戦していたが、9月に入院。9月15日に肝臓がんのため死亡した。亡くなる数日前まで、阪神の成績を心配していたという。

 松林さんをよく知る兵庫県西宮市の男性(64)によると、口癖は「富士のお山が日本一なら、阪神タイガースも日本一、応援団も日本一」。男性は「阪神タイガースがすべての人だった」と振り返った。