最後の晴れ舞台は謝罪で始まった。

 「窮屈になって申し訳ありません。こんなに来ていただけると思っていませんでした」

 破壊力あるパンチで世界王座を11度防衛した内山高志氏は、引退記念パーティーでこうあいさつして頭を下げた。

 12月4日の都内の一流ホテルの大宴会場。立すいの余地のないほど、後援者、友人、ファンに関係者が約1000人も詰めかけた。当初は700人想定も、声を掛けた9割の人が来てくれたという。拓大では下積みも経験し、卒業後は観光バスの営業マンなどもしていた。王者時代に1000枚を越すチケットを売ったこともある。

 世界王者が引退を決めても、ほとんど記者会見しない。最近はSNSで表明も多く、日本ボクシングコミッションに引退届を出して終わりもある。相撲などと違って寂しい限りだが、内山氏は7月に会見し、盛大な引退パーティーを開催し、来年には後楽園ホールでの引退式も予定する。実績、人柄、人望、営業力をあらためて知らされた。

 その宴の最中に後楽園ホールのリングで凱旋(がいせん)報告した王者がいた。前日に大阪で東洋太平洋とWBOアジア太平洋のミドル級2冠となった秋山泰幸。東洋太平洋王者太尊に挑み、2回にゴング後パンチで減点も、5回に2度目のダウンを奪うとタオル投入。王座決定戦だったもう1本のベルトも手にし、2度目の王座挑戦で番狂わせの新王者になった。

 内山氏と同じ38歳。国内は37歳定年も昨年にランカーの定年が延長され、秋山は改正後に王座獲得第1号になった。夏に所属していた名門ヨネクラジムが閉鎖となり、移籍初戦でもあった。ワタナベジムには男女合わせて28人目の王者。現役男子は23人目だが、移籍してから王座獲得は7人目になる。

 渡辺会長は「今があるのは内山のおかげ」と話す一方で「秋山が王者になるとは男冥利(みょうり)」と自慢した。75年に故郷栃木・今市で国鉄マンながらジムを開き、81年に五反田へ出てきて、今や日本プロボクシング協会会長も務めるまでになった。

 内山は最初にミットを受けて世界王者になると確信したという。いわば別格で、会長には「来る者は拒まず」の大方針があり、移籍選手も多い。荒川は唯一世界挑戦経験があるが、残る6人はたたき上げでノーランカーが大半。会長は「捨てられた選手でも、必ずチャンスはつくる」を信条にしている。

 ジムの偉大なる存在はいなくなったが、格こそ違えどまた1人王者が誕生した。再生工場長の手腕を発揮。「今がボクシング人生で一番楽しい」と会長はご満悦だった。【河合香】