懐かしい人に会った。元小結旭道山の波田和泰さん。100キロ台の軽量ながらも、南海のハブと言われ、三賞も4回受賞するなど、90年代前半に活躍した。後楽園ホールに、おいっ子の応援にきていた。

日本ユース王座を獲得した波田大和
日本ユース王座を獲得した波田大和

波田大和はスーパーフェザー級で、1日の日本ユース王座決定戦でタイトルに初挑戦だった。昨年9月の予選は4回TKO勝ち。決勝の決定戦は日本ライト級10位石井(伴流)と23歳のサウスポー対決となった。

「緊張しいなんで」と序盤は硬さがあったが、2回に左ストレートでダウンを奪った。3回以降は力んで手数が減り、なかなか詰め切れなかった。5回にワンツーから連打でストップ勝ち。帝拳ジム初のユース王者になった。

長谷川穂積をテレビで見て、中2から自宅近くのキックボクシングジムに通った。強豪の埼玉・花咲徳栄に進み、3年でインターハイと国体に準優勝。卒業した15年に帝拳ジムに入門し、10月にプロデビューで10勝1敗。勝ちはすべてKOで、名門にホープ誕生となった。

「見すぎてパンチをもらった」と反省しきりも「いつもは下がってしまう。練習してきた通りに前に出ることができた」と目を細めた。

波田のトランクスには旭道山の文字
波田のトランクスには旭道山の文字

薄茶の毛皮のトランクスはライオンをイメージした。「メンタルが課題なんで。荒々しいライオンで怖がらないようにと思って」という。左太もも裏には旭道山の文字も入れていた。

ボクシングのきっかけは父寿和さん。大相撲幕内格行司木村寿之介だが、ボクシング好きで大島部屋に入門したころジムに通っていたという。今はジムでのスパーリングの動画を一緒に見て、アドバイスもしてくれるそうだ。

「大和会」という後援会もあり、300人以上が応援に駆けつけた。父と叔父の師匠だった元大関旭国の太田武雄さんの姿も。試合後に会場近くのカフェで祝勝会。元旭道山の波田さんと二十数年ぶりで話をした。

こちらも現役時には強烈な張り手に、何人もKOしている。極意を伝授したか問うと「いやいや。ぼくなんて。それより1発の怖い世界。それだけ気をつけろと」。おいっ子は4戦目に逆転TKO負けしている。同じ勝負師として知る、その怖さを強調していた。

96年に突如廃業して、衆院議員に立候補して当選した異色の経歴を持つ。現在は事業やタレント活動しているが「世界王者になってもらわないと。協力お願いします」。おいっ子応援団長が本業のようだ。【河合香】

(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)

旭道山(89年)
旭道山(89年)