「よっ! おはよっ。腎臓仲間!」。春場所のある日を境に、顔を合わすたびに笑みを交えて声をかけてくれる親方がいる。4月10日で65歳を迎え、この春場所が師匠として臨む定年前最後の本場所となった、元関脇舛田山の千賀ノ浦親方だ。

 春場所の中日ぐらいだった。場所中の紙面企画「記者席から」の取材で、定年を迎えるにあたって、千賀ノ浦親方に話を聞かせてもらった。入門時から現役引退、部屋付きから師匠になり、最後の本場所となるこの春場所までの思い出を聞かせてもらった。実に端的に、かねて答えを用意していたかのような、スマートな受け答えだった。

 そして最後に席を立って歩きながら役員室に入るまでに話したのが、場所直前に、がんが出来た腎臓の摘出手術を受けたこと。実にこれもサラッと、何事もなかったかのように話すのだから、あやうく聞き逃すところだった。「実は私も去年の6月に…」。役員室に入る直前、同じ経験をした私の言葉を耳にすると、入室への歩みを止めUターンした千賀ノ浦親方。さっきまで取材の場になっていたイス席に再び腰を下ろし、お互いの体験談を語り合うこととなった。

 その親方の表情がまた、とても大病したとは思えぬような、カラッとしたものだった。ややもすれば陰鬱(いんうつ)で死をも想起させる、あの2文字の病気さえも、この人にかかれば向こうから逃げて消えてしまったのではないかと思えるほどだ。何しろ2月中旬に部屋恒例の海外旅行で弟子たちをハワイに連れて行き、帰国直後の2月23日に45センチの切開を含む手術。3月9日に抜糸して、わずか4日後の13日に初日を迎えた。そんなジェットコースターのような精神状態の日々を、おおらかな口調で、時に豪快な笑みを交えながら話してくれた。

 そんな人が、親方人生で一番腐心したのは「弟子がケガをしまいか、指導の手の届かないところで変なことをしていないか…。自分の子供より、きちんと育てないといけないからね」という。親方稼業、特に部屋持ちの師匠となれば、自分のことは二の次になるのだろう。だから50の声を聞くあたりから、体を壊す親方衆が多い。そして突然の病気の宣告…。因果な商売ではある。

 話は脱線してしまったが千賀ノ浦親方からは、窮地に陥った時の人間としての度量の大きさ、深さというものを教えられたような気がする。どんな運命も受け入れ、淡々と、慌てず騒がず、泰然とした器量。残念ながら、その度量の深さ、私は兼ね備えていない。死ぬまでには何とかしたいと思うが、無理かもな…。【渡辺佳彦】