WBA世界ミドル級スーパー王者村田諒太(36=帝拳)が同級最強とされる世界的スターに屈し、2団体の世界王座統一を逃した。元3団体統一同級王者でIBF世界同級王者のゲンナジー・ゴロフキン(40=カザフスタン)と拳を交え、9回にプロ人生初のダウンを喫し、2分11秒、TKO負け。ファイトマネーの合計は推定20億円以上。日本ボクシング史上屈指のビッグマッチで、常に目標としてきた現役レジェンドを撃破できなかった。戦績は村田が19戦16勝(13KO)3敗、ゴロフキンが44戦42勝(37KO)1敗1分け。

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プロキャリア初のダウンを喫した村田の頭上にタオルが飛んだ。「あのタイミングなら当然。きついなと思っていた」。9回開始と同時にお互いの右が交差。動きが鈍った。2分過ぎに右フックをもらうと、よろめいてキャンバスに倒れていた。

「総合力、パンチの角度とかで、上をいかれているなと。2人が無事にリングからおりられることを神様に感謝したい」。2団体統一を逃したが、すがすがしく振り返った。長く目標としてきたゴロフキンと抱擁。王者のブルーのガウンを着せてもらった。

序盤は右ボディーストレート、左ボディーをねじ込んで攻勢に出た。大観衆から拍手を浴び、強烈な右を打ち込んだ。ゴロフキンを下がらせたが、仕留め切れなかった。「ボディーは効いたなというのはあったが、対応力、技術は一枚も二枚も上。僕にはない経験、強い選手と対戦している経験の差が出た」。素直に完敗を認めた。

19年12月の初防衛戦以来、2年4カ月ぶりのリングだった。コロナ禍での長いブランクで、競技人生を見つめ直した。10年前のオリンピック(五輪)金メダルを獲得後の自らを「迷妄」と表現。「名誉は海水のようなもの。飲めば飲むほど喉が渇いて欲しくなる。それが五輪後の僕」。88年ソウル五輪シンクロナイズドスイミング銅メダリストのスポーツ心理学者、田中ウルヴェ京さんに助言を求めたこともあった。

試行錯誤を繰り返し、到達したやりがいの維持は「なぜ」の探求だった。「名誉やお金は永遠に何も満たしてくれない。なぜの探求がやりがい。自分を満たしてくれる」。この2年間、1つ1つに問いかけながら自らの技術を見直し、ゴロフキン攻略の糸口を探る気持ちが村田の心を支えた。

試合前、所属ジムの本田明彦会長から「いい意味で楽しんでこい」と言われ、楽になった。「楽しくなかったですけれど、楽しい場面もありました。プロは勝たなくてはいけない。金メダリストの重圧もあった。楽しんでこい、はうれしくて」と言葉を詰まらせた。

退場時、1万5000人のファンから惜しみない拍手を浴びた。「お客さんから拍手をもらった事実に対し、ほんの少し自分を評価してあげていいかな」と自らに及第点を出した。36歳で王座から陥落。去就について語らず、「(試合後の感情を問われ)今の時点で言えることはない。負けた。それだけ」と素直な心境を明かした。【藤中栄二】

◆村田諒太(むらた・りょうた)1986年(昭61)1月12日、奈良市生まれ。南京都高(現京都広学館高)で高校5冠。東洋大で04年全日本選手権ミドル級で優勝。12年ロンドン五輪で金。13年8月プロデビュー。家族は夫人と1男1女。183センチの右ボクサーファイター。