IBF世界ミニマム級5位重岡銀次朗(23=ワタナベ)がプロ9戦目での世界王座獲得を逃した。同級王者ダニエル・バラダレス(28=メキシコ)に挑戦。3回2分48秒、偶然のバッティングによるノーコンテスト。まさかの無効試合となった。

高校5冠でプロ転向当時から期待されていた期待の逸材だったが、まさかの無効試合となった。

最強を示す念願の世界ベルトに手が届かなかった。

前日本同級王者の兄優大(25=ワタナベ)とともに熊本・開新高時代から「重岡兄弟」としてアマチュアで有名な存在だった。東京オリンピック(五輪)出場をにらみ、拓大に進んだ兄よりも早く高校卒業後にワタナベジムに入門。プロ4戦目でWBOアジア・パシフィック同級王座、プロ7戦目で日本同級王座を獲得。身長153センチと小柄ながらもパンチの破壊力は抜群のサウスポーとして「未来の世界王者」として日本ボクシング界で注目されていた。

「不敗神話」で有名なボクサーだった。中学時代まで約40戦無敗、高校時代は通算56勝1敗でプロ8連勝で世界初挑戦を迎えた。高校1年時の総体県大会決勝で兄優大との対戦が実現した際、兄弟対決を回避したセコンドのタオル投入による棄権負けが唯一の黒星。100戦以上のキャリアで事実上、無敗に挑んだ世界初挑戦だった。「勝って当たり前とアマチュアの頃から言われていた。そのプレッシャーがここまで強くしたと思う。それでずっと強くなったので、期待してもらうことをありがたく思っている」。今回は黒星ではなかったが、悔しい引き分けとなった。

幼少時代から日本記録の世界王座13回防衛の更新を掲げてきた。今回の世界初挑戦を契機に具志堅氏から更新に太鼓判を押され「自分の存在を知ってくれていたことがうれしい。小学校から防衛回数(を抜く)と言っていました。そのことをあえてご本人から触れてもらえたのは本当に目標として言えるなと思う」と刺激を受けていた。待望の世界王座獲得のチャンスだったが、王者バラダレスを乗り越えられなかった。

 

◆重岡銀次朗(しげおか・ぎんじろう)1999年(平11)10月18日、熊本市生まれ。幼稚園から小学6年まで空手。小学4年から並行してボクシングを開始。小学5年からU-15(15歳以下)全国大会で5連覇。熊本・開新高で16、17年高校選抜連覇、16年国体優勝など5冠を獲得。アマ戦績は56勝(17KO・RSC)1敗。18年9月にプロデビューし、プロ4戦目でWBOアジア・パシフィック・ミニマム級王座を獲得(2度防衛後に返上)。昨年3月には日本同級王座も獲得。家族は両親と姉、兄、妹。身長153センチの左ファイター。

◆ノーディシジョン(無判定) 4回終了までに偶然の負傷で続行が不可能な場合、試合が成立せずに勝敗がつかないこと。バラダレスと重岡は3回途中に頭と頭がぶつかった。「両者ともに偶然のバッティング」とされて、レフェリーが試合続行不能と判断したことで、無判定となった。

◆世界戦での日本人の偶然のバッティングによる無判定試合 2011年1月29日に南アフリカで行われたIBF世界ミニマム級タイトルマッチで、王者のヌコシナチ・ジョイに挑戦した高山勝成が3回に偶然のバッティングで右側頭部を負傷。続行不可能と判断され、規定のラウンド数を消化していないため無判定試合となった。高山の挑戦権は継続保持となり、1年2カ月後に再戦したが、判定負けした。