元関脇麒麟児の先代北陣親方(本名・垂沢和春)が67歳で死去し、富士ケ根親方(56=元小結大善)が13日、恩人を悼んだ。

幼少時から家族ぐるみで麒麟児を応援していた縁があり、高1の時にスカウトされた。麒麟児は当時27歳。富士ケ根親方は、本名の高橋徳夫にちなんで「徳(とく)」と呼ばれていた。「おふくろはすごく体が弱くて、30代半ばで総入れ歯に近かった。麒麟児さんに『徳が相撲取りになったら、お母さんは喜ぶぞ、元気になるぞ』と言ってくれて…。もちろん、相撲界に興味はあったけど、力士になろうと思わせる言葉でした」。

二所ノ関部屋に入門すると、師匠(元関脇金剛)はもちろん、兄弟子の大徹(現在の湊川親方)が胸を出してくれて、麒麟児が指導をしてくれた。23歳で関取になった。母明代さんは、家から徒歩10分の春場所会場まで毎年応援に駆けつけてくれた。病気と闘いながら、70すぎまで生き抜いた。麒麟児が入門時に言ってくれた通りだった。

「親方(元麒麟児)は、いてくれるだけで周囲が明るくなる、太陽のような人でした」と富士ケ根親方。先代北陣親方は、NHKの大相撲中継やサンデースポーツの解説でファンから親しまれた。富士ケ根親方が大相撲中継で解説を務めた日、放送を終えるといつも先代北陣親方から留守電が入っていたという。

「『徳、聞いたよ~。もうちょっとゆっくりしゃべれよ』などと、言っていただきました。聞いてくれているんだなと思うと、それがうれしくてね。アドバイスをいただいたのですが、親方の域には達しませんでした。でも、声を聞くだけで童心に戻れました」

先代北陣親方の葬儀は家族葬として執り行われた。最期には立ち会えなかったが、富士ケ根親方は恩を忘れない。「(師匠だった)金剛さんは『井戸を掘った人を大事にしろ』と、つまり導いてくれた人を大事にするんだぞとよく言っていました。感謝してもしきれません。協会も苦しい時期ですけど、しっかり自分もまっとうできるようにしっかりしていきたいです」。【佐々木一郎】