元大関栃ノ心(35)が、夏場所6日目の19日に引退した。ジョージアから来日し、2006年春場所初土俵。新弟子だった当時からの成長を見てきた兄弟子たちは、幕内優勝も果たした栃ノ心の労をねぎらった。

元関脇栃煌山の清見潟親方(36)は、栃ノ心より約1年早く入門。当時は言葉がわからなかったが「ニコニコして部屋の仕事も一緒にやっていました。人がいいからこそ、なじむのも早かった」と振り返る。新十両、新入幕ともに先んじたが、稽古場で常に切磋琢磨(せっさたくま)し、互いに出世した。「センスは抜群ですし、やればやっただけ、吸収して毎日強くなっていきました。栃ノ心の性格はやさしくて素直。そういうのも良かったと思います」。

栃ノ心が師匠の春日野親方(元関脇栃乃和歌)と話して引退を決断したのは18日夜。しかし、栃ノ心は19日の朝もまわしを締めて稽古場に下り、碧山や若い衆のために胸を出して稽古をつけた。自らは相撲を取らなくとも、ほかの力士のために体を張った。

栃ノ心は角界を離れることになるが、清見潟親方は心配していない。「あの人柄なので、どこにいっても大丈夫。これからも変わらない関係でいられる。栃ノ心のことを嫌だという人はいません。栃ノ心ならやっていけると思う」と、エールを送った。

元幕内木村山の岩友親方(41)は、栃ノ心より2年早く入門したが、2008年初場所で同時に新十両に昇進。「一緒に(十両に)上がり、レヴァニ(栃ノ心の本名)がおったから、僕も頑張れた。幕内優勝も大関昇進伝達式も間近で経験させてもらえた。『ありがとう。お疲れさん』と声をかけました」とねぎらった。

栃ノ心は言葉の壁やケガを乗り越え、春日野部屋を引っ張る存在だった。岩友親方は、しみじみ言う。「言葉もケガも、1人では何もできなかったことが分かっている。師匠が(しこ名に)『心』と付けた意味も分かっていました。ここまでやれたのは、本人の努力と人間性。師匠は励ますためにわざと怒ることもあった。そういう愛情が分かっていましたから」。

清見潟親方と同様、岩友親方も今後については心配していない。「協会に残らなくても、春日野部屋の一員。関係が終わるわけではありませんから。やめたことはさみしいけど、その後も変わらずおれると思っています。さみしいけど、よく頑張りました」。苦楽をともにしたからこそ、言葉に実感が込められた。【佐々木一郎】