幼いころからよく食べ、大きく育った。

琴ノ若は、生まれた時こそ3450グラムと一般的だったが、1カ月後には体重が2倍になっていた。幼稚園の時には好物の生卵をご飯にかけ、大人用の茶わんで1食に5杯をペロリと平らげた。もちろん、おかずも、ちゃんこ鍋もよく食べた。菓子類は好まず、午後3時のおやつは、おにぎり。幼稚園、小学校の時は周囲よりも頭1つ大きかった。

生まれた時から、力士になるのが運命かのような血筋だ。だが師匠の佐渡ケ嶽親方は「力士でなくても、やりたいことをやってくれればいいと思っていた」と振り返る。それでも2歳でまわしを欲しがり、買い与えると相撲に夢中になっていた。体重も小学校卒業時には100キロに迫っていた。だからランドセルは特注。肩ベルトの長さが足りず、伸ばしていた。大好きな祖父が買ってくれたため、今も大切に保管している。

相撲強豪の埼玉栄中、高に進み、年末年始などに帰省した際は朝稽古が始まる午前5時よりも前に稽古した。父に「それがお前の選んだ道だ」と言われ、午前4時から1時間だけ土俵を使わせてもらった。そして同5時からは机の前で勉強。高校2年までは目立った成績を残せず、力士として大成しなかった時の備えもしていた。それが父を超え、祖父に迫る大関昇進。佐渡ケ嶽親方は「力士になるために生まれてきたのかな」としみじみ言った。相撲一家の3代目は今、日本中から期待される力士へと成長した。(おわり)【高田文太】