米アカデミー賞の外国語映画賞を受賞した映画「おくりびと」のロケは、主に山形県庄内地区で行われた。物語のキーポイントになる銭湯の場面は、鶴岡市にある開業から68年の老舗銭湯「鶴乃湯」で撮影された。滝田洋二郎監督(53)が自らロケハンしてほれ込んだ場所。近い将来の廃業を決めている女性主人の三谷享子さん(67)は「いい記念になりました」と話した。

 受賞が決まった23日午後1時すぎ、三谷さんは2時間後の開店に向けて準備に追われていた。店の前で近所の人から「良かったのぉ。(アカデミー賞を)取ったけぇ~」と一報を聞き、思わずその場で小さくジャンプしてしまった。

 鶴乃湯は太平洋戦争に突入した1941年から営業を開始。コンクリート壁に「鶴乃湯」と豪快な明朝体で刻印された入り口からは戦火をくぐり抜けてきた重厚感が漂う。鶴岡市でただ1軒残っている銭湯だ。その雰囲気にほれ込んだのが06年10月にロケハンに来ていた滝田監督らスタッフ4人だった。

 当時、三谷さんは店前で煙突をにらむ黒づくめの男らを「ありぁ~、不審なよったり(4人組)がおるのぉ~」と警戒心を抱いた。しばらくすると店に入ってきて「ぜひ撮影をさせていただきたい」と頭を下げられた。もちろん滝田監督を知らず、映画の内容を聞いて「そりゃ、暗~い映画かね?

 やんだぁ~」と即刻ダメ出しをした。

 ただ、その後、制作スタッフが何日も足を運び、その熱心さに負けて撮影を許可した。まきでたくボイラーや深さ約50メートルから地下水をくみ上げるポンプも故障がちで、撮影オファーを受けたときは、三谷さんは営業をやめようかと真剣に悩んでいた時期でもあった。「いい記念だし、撮ってもらおうと思ってね」と話す。

 撮影は07年4~5月。狭い店内に70人以上が入り込み、三谷さんは番台で見学していた。滝田監督から「撮影風景を見てください」と声を掛けられ、撮影スタッフも「おい、そこに立ってたらお母さんが見えないだろうが」と気遣いしてくれた。主演の本木も当時10歳の孫と撮影の合間に遊んでくれていたり、笹野高史とも番台内で一緒に弁当をほおばった。

 映画はすでに3回見た。銭湯の女性主人役の吉行和子の演技に目頭が熱くなった。撮影中は役づくりに没頭する吉行と1度も話せなかった。「でもよ、常連さんのために死ぬまで店を守る姿は、私も同じ気持ちだわ。今、私がいる番台に吉行さんに座ってもらっただけでもありがたいわ。また、映画館で吉行さんに会いたいわね」とつぶやいた。

 店の営業はすぐやめるわけではないが、3代目の三谷さんでのれんを下ろす気持ちは変わらない。入湯料は大人300円で1日に30人も来ればいい方だ。「これでお客さんが来てくれればいいけど。でも、あのとき断らないで撮ってもらって本当によかった」と三谷さんは静かに笑った。【寺沢卓】