4月からキャスター業に復帰し、意気込みを語る登坂淳一アナウンサー
4月からキャスター業に復帰し、意気込みを語る登坂淳一アナウンサー

登坂淳一アナウンサー(47)が、この4月から、NHK退職後初のレギュラー番組や5分枠のストレートニュースなどでキャスター業に復帰している。圧倒的なアナウンス力と画面映えに、ネット上も「麿(まろ)はやっぱりニュースだよ」と人気再燃中だ。本人を訪ねてみると、気さくな骨太キャラ。「フジテレビに落ちてNHK」「やりたかったジャンルは『あさイチ』」など、意外な横顔が見えてきた。

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-4月から「BSフジニュース」に登場しています。日曜午後の5分や2分のミニ枠ですが、見た人からは「まろがニュース読んでる!!」「安定感!」など、反響がすごかったですね。私自身も、やはりニュース読んでる登坂さんはしっくりきます。

登坂 反響はうれしいです。特に東京や関東の人は、昼のNHKニュースでの僕のイメージが強いので、あの形に見慣れていらっしゃるんですよね。ほかの勤務地時代は情報番組やクローズアップ現代みたいな番組もやっていたので、自分の中ではニュースの方がレアなんですけど(笑い)。

-MXテレビでは、MCを務める「TOKYO LOVE SPORTS」(月曜午後8時)もスタートしました。東京五輪に向けた話題をスポーツ系タレントさんたちとわいわいやっていて新鮮です。

登坂 生放送でキャスターをやるのは久々なので楽しいですね。CMがあるのも初めてですし。VTRからCMに行くので、まだ「CMです」って言えてないので、いつ言えるか楽しみです(笑い)。

-NHK時代はスポーツの担当はしていないですよね。

登坂 NHKの場合、スポーツをやりたいアナウンサーは自分から「やりたいです!」とアピールしていかないと認定されない。スポーツアナ以外は、実況も取材もあまりできないんです。

-「やりたいです」と言わなかったのですか。

登坂 中高で陸上競技(100メートル)をやっていたので、スポーツはたくさんあるのになんでテレビは野球ばかりなんだと、変な疑問を持っていて。でも、野球実況で有名な先輩の小野塚康之アナウンサーから受けた「全部の動きを的確に描写して」という教えは、後に緊急報道のニュースの時などにすごく生かされました。

4月からキャスター業に復帰し、意気込みを語る登坂淳一アナウンサー
4月からキャスター業に復帰し、意気込みを語る登坂淳一アナウンサー

-民放は受けなかったのですか。

登坂 フジともう1社受けて落ちました。もう1社の方は面接官と合わなくて、むかついてテキトーなこと言い放っちゃってダメでした(笑い)。フジテレビは行きたかったです。フジで育った世代だし、「ひょうきん族」とか、大人がまじめにバカやっているようなのがすごく楽しそうに見えて。「夕やけニャンニャン」も「オールナイトフジ」も、カオスがすごいなって。

-結局、対極のNHKに。

登坂 自分でも意外なところへ行ったなと(笑い)。

-でも、がんがん抜てきされていた印象ですが。

登坂 最初の勤務地が和歌山で、関西2府4県のアナウンサーを全部見ている大阪の統括に恵まれました。NHKは「我こそ神童だ」みたいな人の集まりですが(笑い)、僕はそういうの全然ないので、人の10倍働いて頑張ろうとやっていて。僕の世代はまだ、アナウンサーも自分で取材して、提案して、編集して、音声テープをハサミで切ってつなげて、というのをやってましたから。

-先ほども、出番の時間に合わせてスマホのアラームをセットして、本番数分前ギリギリまでこちらの取材に付き合って、全部1人でやってましたよね。下読みする時間とか、大丈夫だったんですか。

登坂 全然大丈夫です(にっこり)。プロなので、ちゃんと読めるのは当たり前なので。下読みばっかりしてる後輩とかいるんですよ。「バカなの?」って。間違ったらいけないと不安で練習ばっかりして、「そのニュースは何のニュース?」って聞くと、全然分かってない。それが間違いのもとなんだと。何のニュースか、なぜこれがニュースなのかを理解するアプローチをしていれば間違えない。そう100倍優しく言ってました(笑い)。

4月からキャスター業に復帰し、意気込みを語る登坂淳一アナウンサー
4月からキャスター業に復帰し、意気込みを語る登坂淳一アナウンサー

-10年に札幌に異動するまで、武田真一アナと登坂さんのツートップみたいな時代があって、今振り返っても豪華だったなと。昼が登坂さんで、夜が武田さんという、人気実力ともに盤石の体制で。

登坂 武田ファンの方が多かったですけどね(笑い)。報道の人たちも、ずっとこの体制を維持したいと言ってくれていましたけど、ずっとやりすぎても弊害になるので。

-異動翌年の東日本大震災の時には、ヘルプで呼び戻されて震災報道のローテーションに入るという緊急態勢も話題になりました。

登坂 未曽有の出来事なので、長時間の生放送が続く中でのNHKの判断でした。発生3日目の夜からニュースに出たのですが、ぐったりしていたスタッフたちが「なんか乗り切れそうな気がした」と言ってくれたりして。放送では、今まで自分がやってきたものを全部出そうと思ってやっていました。特に東北や福島の、不安しかない人たちに少しでも情報が届いてほしいと。

-なぜNHKを出たのですか。

登坂 新しいことにチャレンジしたくなったんです。活躍の場をもらい、その時その場所でやるべきことを一生懸命やってきましたが、入局当時にやりたいと思っていたことは1個もかなわなかったので。僕自身は「あさイチ」のような柔らかい番組のMCをやりたかったんですよ(笑い)。生放送で出演者やゲストと楽しくお話ししたり、ほんの少しでも、日々のいろんな人たちに元気を持ってもらえるような。

4月からキャスター業に復帰し、意気込みを語る登坂淳一アナウンサー
4月からキャスター業に復帰し、意気込みを語る登坂淳一アナウンサー

-決断してフリーになり、フジの「プライムニュース」も決まり、さあこれからという時に、8年も前のハラスメント疑惑が報じられて。あの時はどんな心境だったのですか。

登坂 暗たんたる気持ち。誤解を受けたことも自分の反省点とはいえ、しばらくは家から出たくなくて、ネットフリックスやアマゾンで死ぬほど映画見てました。明るめの作品や、サスペンスドラマ。意味もなくタイトルにひかれて「リベンジ」とか(笑い)。最後まで全部見ました。

-3月にご結婚なさった奥さんが、ずっと支えてくれたのは大きいですね。

登坂 そうですね。明るくておもしろい人なので、ありがたかったです。一番うれしかったのは「ちゃんと食べなきゃだめだ」と言ってくれたこと。大切なことで、おかげですごい食べました。今も僕の収入が安定するまで、北海道で仕事してくれています。ほんと去年の収入はひどい(笑い)。大学時代のバイトくらい。「もっともっと仕事して」と言われています。

-バラエティーやナレーション、レギュラー番組など少しずつ仕事も増え、「早く地上波ニュースに戻ってきて」みたいな声も多いですが。

登坂 ありがたいです。今までもこれからも「これしかやりたくない」というのはない人間なので、ニュースでもバラエティーでも、チャンスがあればどんどんやっていきたいです。

◆登坂淳一(とさか・じゅんいち)1971年、東京都生まれ。法大経済学部卒。97年にNHK入局。アナウンサーとして「おはよう日本」、正午のNHKニュースなどを担当。昨年1月にNHKを退局し、フリーに。趣味はカーリング。

【梅田恵子】(ニッカンスポーツ・コム/芸能記者コラム「梅ちゃんねる」)