女優草刈民代(58)が、「ローラン・プティ オマージュ『INFINITY-プレミアム・バレエ・ガラ 2023-』」(7月29日=富山・オーバード・ホール、同31日=東京・新宿文化センター)の芸術監督を務める。
2011年に87歳で亡くなったフランスの振付家ローラン・プティさんは、来年生誕100年を迎える。99年にプティさんから「若者と死」の主役の死神役に選ばれるなど、レパートリーは11作品と縁深く、今回オマージュする思いを聞いた。
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09年のバレリーナ引退後は女優、プロデューサーとして活躍してきた。「“踊る表現者”としての私を作ってくれたのはローラン・プティ先生。(今回は「アルルの女」などをオマージュして)才能豊かなダンサーとともに、プティ先生にささげたいと思います」と意気込む。
プティさんとの出会いは、バレリーナとして、そしてその後の人生も大きく変えたという。
「それまでは、40歳になるまでに決められた演目を次々に踊っていって、それで終わりになるんだろうと考えていました。そして、そろそろ辞めることを考えていかなきゃいけないと思っていたんです」
初の作品は、96年の「アルルの女」。まだ30代になったばかりだった。
「その作品を踊った経験から、いろいろなことが変わって来た。プティ先生と出会う前は、作品に憧れはあったけど、日本人が踊れるものじゃないと思っていたんです。99年には『若者と死』の主役の死神に選んでくださった。その後、プティ先生の作品を何本も踊って、40代はプティ作品集のような公演を3回、プロデュースしました」
プティさんとの出会いの陰に、支えがあった。96年の映画初出演作「Shall we ダンス?」の監督で、同年に結婚した周防正行氏(66)だ。
「このまま辞めちゃうのかな、という話を夫にしたんです。そうしたら『踊り手としての自分の納得を得るためには、自分が踊りたいものを踊るとか、自分で公演を作るとか、自分がやりたいことをやらないと納得は得られないんじゃないか』って。そのすぐ後に、私はパリに行ってプティ先生と会ったんです。プティ先生にも相談したら『民代がやりたいことがあれば、何でも協力するよ』と言ってくださったんです。そこからプティ作品の公演を何度かプロデュースするようになったんです」
周防監督とプティさんからの助言があるまでは、自身でプロデュースすることは考えていなかった。
「海外のスターたちが自分でプロデュースすることがあっても、日本ではバレリーナが自分で公演をプロデュースして踊るというのは、まだなかったんです。だけど、自分でプロデュースをやるようになって、パリ、上海、香港、台湾、そして愛知の地球博でもやりました。09年の引退公演は日本全国を回って計14回。全てはプティ先生との出会いから。ダンサーとしても表現者としても、エネルギーが引き出されました」と話している。【小谷野俊哉】
◆草刈民代(くさかり・たみよ)1965年(昭40)5月10日、東京都生まれ。7歳でバレエを始め、81年から牧阿佐美バレヱ団参加。84年「恋の絲」主役。96年に女優デビュー作となった映画「Shall we ダンス?」で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞、新人俳優賞。同作の周防正行監督(66)と同年3月に結婚。99年ローラン・プティさんから「若者と死」の死神役に選ばれる。05年、愛知万博で主演、公演プロデュース。09年4月プロデュース公演「エスプリ~ローラン・プティの世界」でバレリーナを引退。同年9月舞台「宮城野」主演。10年、NHK大河ドラマ「龍馬伝」でドラマデビュー。11年主演バレエ映画「ダンシング・チャップリン」。12年映画「終の信託」で日本アカデミー優秀主演女優賞。同年NHK「眠れる森の熟女」主演。22年、キエフ・バレエ支援チャリティー「BALLET GALA in TOKYO」芸術監督。



