内山田洋とクール・ファイブのベース小林正樹さんが15日、都内の病院で老衰のために亡くなった。81歳。長崎県佐世保市出身。テイチクレコードが21日、発表した。葬儀は18日に近親者で行った。

テイチクレコードは「小林正樹 儀(満81歳)は令和6年2月15日午前4時00分 都内病院にて老衰のため永眠致しました。ここに生前のご厚情に深謝し謹んでご報告申し上げます。葬儀につきましては近親者のみにて執り行いました」などと伝えた。

1969年(昭44)に「内山田洋とクール・ファイブ」のベースとして「長崎は今日も雨だった」でメジャーデビュー。ギター内山田洋さん(06年死去)、ボーカル前川清、ピアノ・キーボードの宮本悦朗、サックス・フルートの岩城茂美、ドラムの森本繁とともに、オリジナルメンバーの1人だった。テレビ出演などの際は、別のバンドが付くためにバックコーラスを担当。長いもみあげにパンチパーマという、少しこわもての風貌ながら、優しい語り口調と高音の話し声のギャップがユニークで、バラエティー番組などで人気だった。

昨年2月、前川清の55周年記念コンサートが都内で行われた際、小林さんはつえをつきながらステージに登場。名曲「アンチェインド・メロディ」などを歌唱した。声はかすれ、自慢の高音は出なかったが、観客から大きな拍手が沸いて前川も涙を流した。

公演後の取材で、前川は「小林さんは3、4日前には、具合が悪くて歩けないので来られないかもという話でした。公演が終わって、小林さんの肩をたたいたら、もう体がガリガリで。でも、なんとも言えない味のある声だった」などと語っていた。

そして、60周年に向けて「次に向けてはもうないです。でも、小林さんがステージで『60周年を頑張る』って言ってくれた。60周年をやれた時には、もう点滴でのベッドショーですね」などとジョークを飛ばしていた。

高校を中退し、長崎のナイトクラブで歌っていた19歳の前川をスカウトしたのが小林さん。前川らは小林さんのことを「先生」と呼んで慕っていた。

「先生」の最後のステージは昨年10月。前川と長男の紘毅、次女の侑那が出演する「前川ファミリー」コンサートが九州で行われ、小林さんはゲスト出演した。目標だった「前川の60周年」には届かなかったが、小林さんは天寿を全うして旅だった。