イッセー尾形(73)が、一人芝居「イッセー尾形の右往沙翁劇場」に出演する。神戸で11月14~16日に番外編「銀河鉄道に乗ってin神戸」(神戸朝日ホール)、東京で12月5~7日に番外編「銀河鉄道に乗って・すぺしゃるin有楽町」(有楽町朝日ホール)。1人でいろいろなキャラクターの人物を演じて、見る者に訴える独特の芸風で“一人芝居の第一人者”と言われる。尾形にこのほど、話を聞いた。【小谷野俊哉】
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自分で作り、自分で演じる一人芝居。時にはアドリブでせりふが飛び出すこともある。
「出て行く時は出放題です。それは自分でも許してます。それが生きてることに近いわけだからね。決まったセリフが返って来るのを前提に、一人芝居をやってるっていうのは構わない。だけどドラマの撮影に行つても、アドリブやるでしょ。そして本番も、また別のアドリブをやる。だから、嫌われる、嫌われる(笑い)」
1981年(昭56)から連続ドラマとして1年間放送され、その後も89年(平元)までシリーズが放送された、青島幸男主演のドラマ「意地悪ばあさん」に巡査の早野金造役で出演した。06年に74歳で亡くなった青島は、放送作家から作詞家、タレント、参院議員、直木賞作家、東京都知事も務めたスーパーマルチタレントだ。
「電車に普通に乗るんですよ、それにびっくりしました。青島幸男が小田急線に乗ってるんですよ。というふうに、ごくごく普通の感覚センスを持っている人で、それに驚きました。ふん反り返ってないんだとね」
一人芝居を始めて50年近い月日がたった。
「まあ、人から見たら変わってると思いますね。その執念、飽くなき次作りたいという思いは、いつだって起こる。だから、もうそれで行くしかない。飽きやすいんですよ、私はちょっとね。どんどん変えないと飽きちゃうから、それが一番の理由かな」
神戸公演は11月14日に初日を迎え、東京公演は12月7日に最終日。
「最初と最後じゃ、違うでしょうね。“今やってるんだ”ってことは、大事にしたいんですよ。ちゃんと作ったものを今日お見せしますじゃなくて、ちゃんと作ったんだけども、今日もちゃんと作ります。そんな感じですね」
舞台のモチーフとなる宮沢賢治は37歳で、その生涯を閉じた。小説「注文多い料理店」以外は「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」、そして死の「雨ニモマケズ」も亡くなってから世に出ている。
「『銀河鉄道』の中で主人公ジョバンニが切符を渡して『これはどこまでも行ける切符だ』というセせりふがあるんです。宮沢賢治と付き合っていると、この人もどこまでも行ける切符のような気がして終わりがないんですね。クリアっていうか、なかなか捕まえられない。捕まえてもスルッと逃げちゃうから。という風にある種、自分と重なる部分、重ねたい部分ですけども、それはあると思います。いつまでも捕まらない、捕まえられてたまるものかと。やっぱり宮沢賢治っていうのは、そういう人ですね。という風に思いたいだけかもしれませんけども。『銀河鉄道』っていうのは、不思議な世界ですから。いくらでもずっと列車に乗って行けばいいわけですからね。もうその列車は死に向かってるんですけども、死への挑戦。毎回、全てのものを注ぎ込もうと思えば、込められる」
日ごとに変わる一人芝居。それは演じる場所によっても変わる。
「例えば神戸のステージは、左右に長いんですよ。観客席で舞台を見て、そして舞台から観客席を見てみるんです。そうすると舞台からのことを、もう忘れていて、もう1回舞台に立つと驚くんです。という風に作品が、自分自身が、揺さぶられる。それは物理的なものですけども、内的にも作品には影響していると思います」
東京の有楽町朝日ホールには、500人の観客が入る。
「大きいんだよね。ただ東京はね、情報が密ですから。それはやっぱり日本一だと。で、神戸も割と都会ですからという風にね。情報量が相当多いから、その量で人間が、お客さんが成り立つ。だからいろんなキャラクターを出すと、必ずキャッチしてくれる。そういう安心感はあります。今回の登場人物は田舎の人が多いんですけども、それも都会として捉えてくれる。だからだから、そのズレみたいなものが楽しみちゃ、楽しみです」(続く)
◆イッセー尾形(おがた)1952年(昭27)2月22日、福岡市生まれ。都立多摩高卒業後、71年に演劇活動を開始。演劇養成所アクターズスタジオで演出家森田雄三と知り合い、自由劇場、劇団うでくらべ。81年日本テレビ系「お笑いスター誕生!!」で8週勝ち抜いて金賞。81~89年(平元)フジテレビ系「意地悪ばあさん」。85年映画「それから」90年「都市生活カタログ」でゴールデンアロー賞演劇芸術賞。09年NHK連続テレビ小説「つばさ」。18年同「まんぷく」。19年NHK大河「いだてん」。171センチ。血液型A。



