今年3月に創業123年の歴史に幕を閉じた神奈川・桜木町駅の駅そば店「川村屋」が1日、半年ぶりに営業を再開した。秘伝の素材から抽出した香り立つダシに毎日訪れるファンも多く、店の復活には「ありがとう」「待ってたよ」の声が相次いだ。家族の絆が川村屋の100年を超える歴史を支えてきたが、店の立ち上げには日本の初代首相・伊藤博文が深く関わっていた。
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9月1日、川村屋が復活した。店に入るとしょうゆダシの香りが鼻をくすぐる。できあがるまでの短い間、その香りに包まれる。ズズズッ-。先客のそばをすする音だけで胃袋が身構える。注文した湯気の立つ「とりにくそば」。汁を口にふくんで、そばとやわらかい鶏肉を一気にかき込む-。うまい。
JR桜木町駅の改札口のすぐ横、そこが川村屋だ。今年3月31日に閉店。駅の一等地なのに新たな店舗に変わるわけでもなく、そのままひっそりと看板も外されずに残っていた。
8月に入って店の外側の壁に紙が張られた。「川村屋が戻ってきます!」。複数の通行人が張られた紙をチラ見して、驚いた表情を浮かべながら二度見する。40代の男性は「復活するってホントですか。ボクは毎朝食べていて、もう食べられないと思っていたから…。シロギスの天ぷらのそばをまた食べられるんですね」と軽やかな足どりで改札をくぐっていった。
川村屋を閉じた6代目代表の笠原成元(しげもと)さん(69)は「12人のパートさんを雇っていた。そのおばちゃんもみんな高齢になってしまった。潮時かなと思った」と話し「私には3人の娘がいるんだけど、次女が継いでくれるって。1度は断ったの。大変だから。で、閉店してすぐにまた『やっぱり、継ぎたい』って」とうれしそうな表情で語った。
7代目となる加々本愛子さん(31)は大卒後、9年務めたIT企業を今年6月に辞めた。「川村屋があったからこそ大学進学もできた。学生時代にアルバイトもした思い出の店。私の人生を支えてくれた川村屋を終わりにしたくない」と店を継ぐ決意を話した。
笠原さんは今年4月、店の大家の駅ビル「シァル桜木町」に次女が7代目となり店を存続することを伝えた。シァル側には利用していたファンから川村屋の復活を訴える声も多数届いていて「次女が7代目になることを手放しで喜んでくれた。営業に向けた手続きなどもあって、再開まで半年を要してしまった」と笠原さんは笑った。
笠原さんは鉄鋼プラントを扱う大手商社の社員だった。5代目小野瀬せんさん(故人)と父親が旧知だった縁で、1989年に早期退職して川村屋を手伝うことなった。当時は35歳。「駅前の立地でみなとみらいに向けた開発も始まる時期。商社マンとして大きく事業展開して勝負できると思った」と振り返った。
ところがダシをとって1日1000人規模の接客をするだけで1日が終わってしまう。支店を出して多店舗経営をする夢は打ち砕かれ「甘く考えていた。そこで質を高めることに考え方を変えた」と心境の変化を思い起こした。
2003年に店を正式に引き継いで、立ち食い形式の駅そばであることを打ち破ることを目標にした。笠原さんは母良子さん(故人)と姉優子さん(72)にメニューについて相談。ダシは天然素材を使って、鼻にダイレクトに伝わる心地いい香りにこだわった。「おいしくて当然。立ち上る香りはクセになる。ダシレシピは秘密」。
看板メニューの「とりにくそば」の鶏肉は山梨産をヨーグルトに漬け込んで、やわらかく加工した。天ぷらも高級なエビを外し、個性がありながらコストを抑えられるイカやアジやシロギスなどをラインアップにした。
食器も丼は陶器、コップもガラスにした。「立ち食いそば」の概念を変え、すべて座席にして店内24席で迎え入れた。駅そばでありながら、純粋においしい一杯を追求。1日平均1000人が訪れたが「最後の日」となった3月31日は1800人以上が来店して別れを惜しんでくれた。
今年3月末までのそば&うどんの料金は「とりにく」は390円、「きす天」460円、「あじ天」470円。「この半年でいろいろなものの物価高騰もあって、ファンのみなさんには申し訳ないけど値段はちょっと上げることにしました」と話す。
しばらくは父娘ともに店内で仕事する。「家族でつむいできた味。父と一緒に仕事するのは初めてだけど、ちゃんと受け継いでいきたい」。7代目は言葉に力を込めた。【寺沢卓】
■創業123年 伊藤博文の紹介で開店
川村屋は1900年(明33)4月1日に洋食専門店として開業した。当時は桜木町駅はまだなかった。1872年、日本初の鉄道が開通。通称「陸(おか)蒸気」と呼ばれた列車で新橋駅を出て50分で到着する終着が横浜駅。駅に出店することは容易ではなかったが、川村屋は初代首相の伊藤博文の紹介で開店することができた。
1871年、遊女出身で「横浜の女傑」と呼ばれた倉(本名斎藤たけ)が尾上町(横浜市中区)で料亭「富貴楼」を開業。伊藤博文をはじめ、大久保利通、井上馨、大隈重信、山縣有朋らが出入りしていた。政治家の料亭での会合の先駆けだった。
倉の弟八太郎は陸蒸気に乗車する客への貸し座布団業を営んでいて、妻渡井つるが「川村屋洋食店」の代表となった。つるの養子渡井政次が2代目、そして政次の次男六郎が3代目となった。渡井家には跡継ぎがおらず番頭だった小野瀬幸広が戦後3年の1948年に4代目に就任。幸広が79年に他界して妻小野瀬せんが5代目となった。川村屋がそばの販売を開始したのは店舗が増えた69年からで、そば販売の歴史は54年になる。
2003年から6代目代表となった笠原さんは、5代目の印象について「上品な女性でいつもレジの横に座っていてお客さんとよくしゃべっていた。きっぷのいい女性でした」と語る。
▼伊藤博文と1000円札 日本の初代首相。1000円札肖像画では3代目。1963年11月から86年1月まで発行され129億6000万枚が印刷された。

