<1>05年シーザリオ

新馬戦、寒竹賞を連勝し、フラワーCでは単勝1・4倍の圧倒的な支持。好位追走から、逃げ粘る2着スルーレートを難なくかわし、2馬身半差で重賞初Vを決めた。

続く桜花賞こそラインクラフトの2着に敗れたものの、オークスは豪快に差し切ってG1初制覇。さらに7月には米ハリウッドパークでのアメリカンオークスも制覇し、日本調教馬による米G1初制覇を飾った。

桜花賞以外はすべて福永祐一騎手が手綱をとった(桜花賞は吉田稔騎手。福永騎手は勝ち馬ラインクラフトに騎乗していた)。

なお、繁殖牝馬としても優秀で、エピファネイア、リオンディーズ、サートゥルナーリアなどのG1ホースを出した。

シーザリオは直線で抜け出し、2着スルーレートに2馬身半の差をつけ快勝(2005年03月19日撮影)
シーザリオは直線で抜け出し、2着スルーレートに2馬身半の差をつけ快勝(2005年03月19日撮影)

<2>97年シーキングザパール

牝馬でありながら、96年デイリー杯3歳S(現2歳S)と、97年シンザン記念をそれぞれ5馬身差、3馬身差で圧勝。牝馬同士のフラワーCも完勝で、重賞3勝目をゲットした。

当時、外国産馬は桜花賞に出走できなかったため、ニュージーランドT1着からNHKマイルCへ向かい、武豊騎手を背に1番人気でG1初制覇を果たした。

翌98年の夏にはフランスへ遠征。モーリスドゲスト賞をレコード勝ちし、日本調教馬として海外G1初制覇を達成した。


<3>93年ホクトベガ

デビュー3戦はダートで1、2、1着。初めての芝戦がフラワーCだった。14頭立ての5番手追走から徐々に上昇して抜け出し、半馬身差で重賞初制覇を果たした。

春の牝馬2冠、桜花賞は5着、オークスは6着。ともにベガの前に敗れたが、ひと夏を越した秋のエリザベス女王杯では、牝馬3冠を狙ったベガを3着に下し、9番人気でG1初制覇。「ベガはベガでもホクトベガ!」の名ぜりふが生まれた一戦だった。

その後も札幌記念制覇など活躍したが、95年から主戦場をダートに変更。96年には重賞7連勝を達成するなど、砂の女王として名をはせた。

97年には第2回ドバイワールドCに遠征。競走中の故障により、天国へと旅立った。