07年帝王賞など重賞7勝を挙げ、引退後は大井競馬場の誘導馬として活躍してきたボンネビルレコード(せん20)が帝王賞当日の29日、誘導馬を引退する。

舞台は替わっても、とにかく愛された。ボンネビルレコードは04年に大井・庄子連兵厩舎でデビュー。5歳時の07年に中央競馬の堀井雅広厩舎へと移籍した。移籍初戦は中山で芝に挑戦も8着。ダートに戻り船橋でのかしわ記念で3着、東京でのブリリアントSで4着と勝利から遠ざかった。その中で迎えた移籍後4戦目は古巣大井での帝王賞だった。

今年3月に定年を迎え調教師を引退した堀井雅広元師は以前、凱旋(がいせん)レースでの“恐怖”を口にしていた。

「大井から中央に持ってきて結果が出せなかった。なのに、また大井で走ることになって、大井のファンの人たちから罵声を浴びせられたり、夏だからビールの缶が飛んできたらどうしようかと。庄子先生にも申し訳ない、という気持ちが強かったね」。

オーナーの意向でデビューから長らく手綱を握っていた“大井の帝王”的場文男騎手と5戦ぶりにコンビを再結成。5番人気で迎えたレースは直線で最内から脚を伸ばし、見事勝利。G1初制覇を果たした。堀井元師はレース後、恐る恐る表彰式に出席したが、悪い予感は見事に裏切られた。

「大井のファンの人たちが『おめでとう!』『よくやった!』と声をかけてくれてびっくりしたよ。『馬がずいぶん変わりましたね』と言ってもらえた的場さんの存在も大きいし、中央に移籍してもこれだけ応援してくれる人がいる馬だと改めて感じたし、大井でレースに使ってよかった、って本当にほっとしたね」。

大井でのキャリア22戦目が、中央移籍後初勝利。10年に大井へ再移籍し、10歳時の12年に引退。大井に愛されたボンネビルレコードが、酸いも甘いも味わった“故郷”を20歳にして去る。【桑原幹久】