第91回日本ダービー(G1、芝2400メートル、東京)が26日に迫った。
ダービーは運。それはフルゲートが20頭を優に超えていた時代の格言で、勝つには枠順や不利を受けない運も必要だった。28頭立ては当たり前で、多い時は33頭が覇を競った。反対に現在のフルゲート18頭となると、出走枠に入ること自体が狭き門。やはり運は大事な要素なのだ。
皐月賞2着馬コスモキュランダ(牡3、加藤士)を担当する佐藤俊馬助手(26)はトレセンに入ってわずか3年で、ダービー出走を射止めたラッキーボーイ。東西で約2400人いる調教助手、厩務員で担当馬をダービーに出せる者は1年で最大18人しかいないのである。
「人生で1度あるかないかの状況なので、悔いのない仕事をしたいです。弥生賞を目指して帰厩した時、トモに力がついているのが分かりました。その前は背腰に寂しいところがあったのですが、むっちりしていた。皐月賞は自分のイメージよりも上に来てくれて、この世代で勝負できる自信になりました」。6番人気で勝った弥生賞はフロックではなかった。馬体が充実して本格化してきた。7番人気の皐月賞もジャスティンミラノとの差はわずか首。上昇度が大事とされるダービーが楽しみになった。
祖父が厩務員、父が調教助手という家庭環境で育ち、自然に進路が固まった。小学5年の時に美浦トレセンの乗馬苑に通い、同級生には横山武史らがいた。高校卒業後はノーザンファーム早来、ノーザンファームしがらきで研さんを積み、競馬学校を経てトレセン入り。「最初の1年は勝てませんでした。技術面の引き出しが足りなかったし、焦りもありました」。23年5月の富嶽賞(2勝クラス)をアウリガテソーロでうれしい初勝利を手にした。10月、コスモキュランダの未勝利勝ちで2勝目。「デビュー戦(12頭立て12着)はちょっとショックでしたが、いつ勝ってもおかしくないとは思っていました」。
8着に敗れた京都2歳Sでは課題が浮かんだ。ゲート内で駐立が悪く、出遅れた。調教で駐立を重点に教え込み、皐月賞の時には我慢できるようになっていた。地道な鍛錬が実を結ぶ。ダービーに向けても、先週から駐立練習を再開した。「しっかりできていました」と言うように、生じた懸念は着実に消している。
スタンドの熱気に気おされない精神面の強さが、コスモキュランダのセールスポイント。「皐月賞のパドックはキュランダだけやけに落ち着いてリラックスしていました。落ち着きすぎて逆に心配になるぐらいでした。僕だけ緊張していました」と苦笑い。競馬でもエンジンがかかるまではのんびり後方を進むが、ジョッキーがひとたびゴーサインを出すといい脚を長く使って前をのみこんでいく。母はオーストラリアG1コーフィールドCの勝ち馬。血統からも東京2400メートルで割り引く材料はない。
日課はプール調教で、追い切り日や全休日以外はほぼ毎日のようにプールに通う。39・3メートルの直線プールか、円周44メートル(外周63メートル)の円形プール。どちらを使って何周するかは、馬の気分や疲れ具合を見て判断するという。最終追い切り前日の5月21日は「全休明けで元気があったので」円形プールを1周。勢い良く水に脚を踏み入れると、ブヒブヒと鼻を鳴らしながら気持ちよさそうに泳いだ。心配機能の強化や気分転換にもいい。この日は暑く、ほてった体を冷ます効果も大きかった。
22日の最終追い切りは小林勝騎手が乗り、ウッドコースでレトロタイプ(3歳未勝利)を追いかけ馬なりで半馬身先着。1週前追い切りで強い負荷をかけたので、当週はもう速い時計は必要なかった。5ハロン69秒1、38秒5-12秒2。オーバーワークにならないよう息を整える、理想的な最終調整を完了した。佐藤助手の笑顔が、好調を物語る。「いい調教ができてほっとしました。あとはゲートまで無事に連れていきたい」。当日はとっておきのスーツとシャツを着て愛馬を引く。【岡山俊明】

