球団初のセ・リーグ連覇に死角なし!! 阪神岡田彰布監督(66)と吉田義男氏(90=日刊スポーツ客員評論家)による新春特別の「虎の日本一監督対談」が実現した。連覇を逃した86年当時を振り返り、現在のチームと比較して分析。レジェンドの吉田氏は岡田阪神の長期政権を期待しながら、黄金時代を築くことを誓い合った。【取材・構成=古財稜明、寺尾博和編集委員、高原寿夫編集委員】

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岡田監督 明けましておめでとうございます。

吉田氏 本年もよろしくお願いします。あらためてリーグ優勝、日本一おめでとう。15年ぶりに阪神の監督を引き受けて、球団から任された戦力でね、いち早く世代交代に踏み切ったのは立派でした。監督の采配がその原動力になったと思いますね。

岡田監督 吉田さんも監督の時に「守りで攻める」を掲げられて、「野球は守りや」いうのは体に染み付いてますからね。自分は85年(打率3割4分2厘、35本塁打、101打点)は打ったけどね、でもあまり評価はされてないけど、守りとかいろんな面でやって、そこからのスタートでしたからね。

吉田氏 中でもセンターラインの確立がすばらしかったですわ。思い切って中野をショートからセカンド持ってきたというのは非常に大きい采配でした。開幕戦の横浜(DeNA)戦でね、いいプレーをたくさんしたんですよ。特にセンターに抜けるような打球をね、何球も捕球して。これはもう大成功だったと、僕はその瞬間に思った。あと木浪と小幡をショートで使ったいうのは、内野手出身の指導者としては当然のことじゃないでしょうかね。それがやっぱりピッチャーを盛り上げたと思いますよ。

-前回日本一の翌年86年は3位。岡田選手も成績(打率2割6分8厘、26本塁打、70打点)は下がっていたが、なぜ連覇に届かなかったのか

吉田氏 私が監督だった85年は戦力的にピークでした。2年後の87年に地獄(最下位)を味わうわけですが、あの時のチーム状態とは全然違います。若手が中心で伸びしろを感じます。今年も苦労はあると思いますが、すごく楽しみです。

岡田監督 やっぱりあの時と比べたらピッチャーが違うと思いますよ。

吉田氏 優勝した年のチーム防御率は4・16でしたからね。

岡田監督 ピッチャーはとにかく不安でしたね。次の年(86年)もケガとかね、掛さん(掛布雅之)の骨折もあったしね。僕が28歳でほとんど年上ばっかりで。年下が平田(勝男)、木戸(克彦)、吉竹(春樹)…野手では3人かな。

吉田氏 85年は規定投球回をクリアしたピッチャーは池田(親興)とゲイル2人だけですからね。リリーフには山本和行もいましたが、抑え役に中西清起が出てきてくれたのは非常に大きかった。負けてる時でも最後に勝つというね、それはチームを預かる監督としてはものすごく苦しいですよ。でも投手力が高いというのは、勝つための大きな要因だと思いますね。

岡田監督 昔の後ろは1イニングじゃないですからね。中西と福間さんと山本和さんがいたけど、複数イニングいくからそらきついわな、1年やと、はっきり言うて。ほんで次がガタッと落ちたからね、ブルペン陣がね。

吉田氏 打つほうは外国人のバースが2年続けて3冠王でかなり打っていた。でもやはり86年は全体的に年を取っていました。

岡田監督 そら年齢が全然違いますよね。あの時より今年は平均で4歳くらい若いらしいですね。

吉田氏 昨シーズンは全球団に勝ち越しての完全優勝でした。特に対巨人は18勝6敗1分けで12の勝ち越しでしょ。我々の時代は打倒巨人を掲げていましたが、すっかり状況が変わりました。今年は連覇を狙うわけですが、これからは「打倒阪神」というペナントレースが続くんと違いますか。岡田監督には常勝軍団を作って、黄金時代を築いてほしいですね。

-監督の後任の育成も託されていますが

岡田監督 いやいや、そんな目星はな。まあやっぱりいきなりはあかんと思うよ。ある程度ね、コーチとかなんかでユニホーム経験せんと。いきなり着て、それは絶対無理やん。今度自分が持ってきたコーチに気遣うわ。そこでうまいこといけへんようになるわ。コーチの方がやっぱ1年間の経験あるからな。

吉田氏 監督がいうように(後任は)ある程度の経験が必要でしょうな。私は後任の育成も岡田監督に課せられたテーマだと思っているんです。ただ自然にね、育ってくると、私は思いますね。でも岡田監督には体力の続く限りはできるだけ長く指揮をとってもらって“名将”になってくれることを熱望しています。

岡田監督 (3年目は)まあまだ、分からないですけどね(笑い)。

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