映画な生活

闘争の象徴、頭脳警察ドキュメンタリー映画が公開

学生運動が激化した70年代、闘争の象徴として最前線にいたのがロックバンドの頭脳警察だ。昨年50周年を迎え、足跡をたどるドキュメンタリー「zk 頭脳警察50 未来への鼓動」(末永賢監督)が18日に公開される。メンバーのPANTA(70)に話を聞いた。

51年間の活動を振り返るPANTA
51年間の活動を振り返るPANTA

新型コロナ・ウイルスの感染拡大で「zk-」の撮影は大幅に遅れた。激動の時代を生きた反骨の人は現代のコロナ禍をどう感じているのだろうか。

「生き残った全員がいや応なく同じスタートラインに立たされた感じはしますね。コロナ以前から音楽界はオンライン化で大きく変わりつつあったけど、それはエジソンの蓄音機から始まった音楽ビジネスが崩壊しているだけで、それがコロナで加速した今、著作権に守られた音源をどうして行くのか、改めて根本から考えさせられることになりましたね」

頭脳警察は、70年代の「世界革命戦争宣言」に始まる革命3部作で反体制のアイドルに祭り上げられた。が、この人は世の中のうねりをしれっと俯瞰(ふかん)していたふしがある。

「ヒッピー文化を代表するグレイトフル・デッドは、実は知的財産権のビジネスで成功していますよね。その流れをくむスティーブ・ジョブズがアップルを作って、それまでの音楽ビジネスのスタイルを壊していった。そして、その対極にはビル・ゲイツがいる。コロナがオンライン化を加速させても、IT業界のこのヒッピー対ヤッピーの対決構図は変わらないですね。で、その果てにどんなニュー・ノーマルが生まれるのか。僕ら作り手側もかすみを食って生きてはいけないから、その成り行きがすごく気になります」

ロック音楽との出会いは小学高学年。エルビス・プレスリーだった。

「すでにエルビスはおじさんで、(映画で)アン・マーグレットと共演したりしていたけど、僕が好きだったのはデビュー間もない頃の『監獄ロック』とか『ハートブレイク・ホテル』でした。ビートルズと出会ったのは14歳の時。やっぱりエルビスの方がいいと思っていた時期もあったけど、いつの間にかビートルズが一番になった。『エド・サリバン・ショー』で、初めて動く彼らを見たときには感激したなあ。それから、ローリング・ストーンズ、アニマルズとどんどん黒っぽいものが好きになって、オーティス・レディング、サム・クック…そしてブルースにたどり着いた。でも、アフリカから連れてこられ、虐げられた黒人が生み出した歌じゃないですか。頭では分かっていても、極東のケツの青いやつらがまねできるものではない。19歳で頭脳警察を作ったときには、ブルースは捨てたんです」

通っていた関東学院大学は赤軍派の拠点校だった。ブルースから離れ、自分たちの言葉で歌おうと決意して間もない頃に出会ったのが同派幹部の上野勝輝が書いた「世界革命戦争宣言」だった。虐げられた人々に寄り添った言葉が胸に刺さった。コンサートでアジテーション調に歌うと、反応は想像以上のものだった。これが頭脳警察のイメージを決定的にした。

思いが常にバリケードの内側にあったわけではない。「ブルースにも『世界革命-』にも、その底には実は同じものが流れている」と言う。米軍基地で働いていた父の同僚、メリック軍曹が、幼い頃にハーモニカで聞かせてくれた「ケンタッキーの我が家」が本当の原点だと振り返る。スティーブン・フォスターが1852年に発表したこの歌は、今やケンタッキー・フライド・チキンのCMソングとして知られるが、そもそもは黒人奴隷問題に大きな影響を与えた「アンクル・トムの小屋」が作曲の動機になったと言われている。

「夕日の中で聞いた音色がなぜか心に染みました。後日、メリック軍曹に詞を書き出してもらった。40歳くらいになった時に改めてこれを読み返して、あーこれだ、と思った。僕の曲を聞いても誰も分からないかもしれないけど、僕の中にはフォスターが入っている」

半世紀を超える活動の足跡は一筋縄ではいかない。映画の中には象徴的なエピソードがある。03年、米国によるイラク戦争に抗議し、右翼・一水会の鈴木邦夫氏とともにイラク訪問団に参加したのだ。その流れで、ロシア・クリミア半島で開催されたヤルタ市制80周年のコンサートでも歌った。喝采を浴びたのは、サダム・フセインの孫、14歳のムスタファ少年が米軍相手に1時間余り繰り広げた銃撃戦を題材に作った曲だった。

「日本の戦後を決定付けたヤルタ会談の地だから参加したんですけど、ウクライナとの緊張で、戦火をすぐそこに感じている時期でした。どちらがいい悪いじゃなくて、誰もが共感できる話だと思って歌ったんですね。女性も含めてものすごく分かってくれました」

この人の作品や言動には、日本から見える「世界の常識」に反対側から光を当ててくれるところがある。

時を追って変化を遂げながら、頭脳警察の曲の中には「軍靴の響き」のようにどの時代にも刺さる作品がある。PANTAにとって変わらないものとは何だろう。

「寺山(修司)さんの言葉の中に『戦争と戦争の間に自分たちはいる』というのがあって、はっとさせられたんですね。ずっと平和の時代に生きてきて、戦争には距離を感じているんだけど、それは違うんだよね。あちこちで戦争があって、そのわずかな合間に自分たちは生きているんだ、と。ずっと変わらないのはその意識かなあ。それと、権力にへつらうのはやっぱりやだなあ、距離を置きたいなあ、というのはずっとありますね」【相原斎】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「映画な生活」)

◆PANTA(パンタ、本名・中村治雄=なかむら・はるお) 1950年(昭25)2月5日、埼玉県生まれ。70年、TOSHI(石塚俊明)とともに頭脳警察を結成。過激な歌詞とライブパフォーマンスで注目され、発禁や放送禁止が話題となる。解散、再結成を繰り返す中で、80年代には「ムーンライト・サーファー」(石川セリ)「Vacance」(岩崎良美)などの曲を提供した。内田裕也さんもファンとして知られ、頭脳警察の曲「コミック雑誌なんかいらない」を脚本、主演した映画のタイトルにしている。

「zk 頭脳警察50 未来への鼓動」の1場面(C)2020ZKPROJECT
「zk 頭脳警察50 未来への鼓動」の1場面(C)2020ZKPROJECT

映画のない生活なんて、考えられない。映画は人生を豊かにする--。洋画、邦画とわず、三十数年にわたって映画と制作現場を見つめてきた相原斎記者が、銀幕とそこに関わる人々の魅力を散りばめたコラムです。

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