02年の日本テレビ系ドラマ「私立探偵濱マイク」など、話題作の製作にかかわってきた、大崎章監督(53)10年ぶりの新作映画「お盆の弟」が25日、ついに初日を迎えた。大崎監督が日刊スポーツの取材に応じたインタビューの第2回は、05年の初監督作品「キャッチボール屋」以来、2本目の映画を公開するまでの10年間の苦労を、日本映画界の現状を踏まえて語る。

 東京・新宿K’sシネマで行われた初日舞台あいさつには、劇中に登場する売れない映画監督タカシ(渋川清彦)と、高校時代からの親友の売れない脚本家・藤村(岡田浩暉)のモデルとなった、大崎監督と盟友の脚本家・足立紳氏らが登壇した。

 「お盆の弟」は、大崎監督と足立氏が、2007年(平19)にある映画会社からの依頼で進めていた企画が頓挫。その後、大崎監督が、群馬の実家に兄と帰った珍道中を足立氏に話し、同氏がプロットを作るよう勧めたのがきっかけだった。大崎監督のプロットは、お盆休みに帰る2日間だけの話だったのが、足立氏が考えて、売れない映画監督の日常の話にした。

 それを翌08年に狩野善則プロデューサーに見せ、09年に大崎監督の故郷・群馬県玉村町にシナリオハンティングに行き、脚本が完成。撮影は昨年8月21日から12日間、行った。印象的なのは、1時間47分、全編にわたってモノクロで撮影された映像だ。

 -オールモノクロで撮ったことで、タカシが妻裕子(渡辺真起子)に離婚を突きつけられる場面などの生々しさが過度になりすぎず、登場人物たちを温かく見守ることができる

 大崎監督 撮影監督の猪本雅三さんの決意というかセンスというか、「絶対モノクロがいい」と言い出して。最初、僕は正直、自分がモノクロを撮るというイメージが全くなくてビックリして、(スタッフ)みんなと相談したんですが、みんなもいいと言って。みんなのイメージが、モノクロに合ったのかと。

 -モノクロの映像に、コミカルな音楽が重なり、日本映画が元気だった昭和30年代によく作られていた、市井の人々を描いた古き良き日本映画の香りがする

 大崎監督 過去の日本映画を意識してはいません。(撮った)結果だと思います。(ロケ地の)玉村は、そんなに特徴のある町じゃないですが、あの景観、雰囲気を切り取ったらすごく良くて、昔ながらの群馬県の農村の風景が出た。それにモノクロ、役者の芝居…とても小さな話ですが、足立の脚本、世界観が普遍性を持っていたのかと。市井の人々がけなげに、実直に生きる台本になっていますからね。

 -タカシが農村の中を自転車で走るオープニングなど、まさに昔の日本映画のテイストです

 大崎監督 普通の映画の入り方をしたかったというか、気持ち良く映画に入りたい感じがあった。足立の脚本に、自転車で玉村の町を行くタカシ、という件がありました。撮影監督の猪本さんの力も大きい。玉村のことは、もともと知らないんですけど、ロケハンの時、主導権を撮って、田舎のいい場所を選んで、切り取ってくれる。職人ですね。

 -映画を1本撮るのも、資金をはじめ簡単ではない時代です

 大崎監督 2本目にたどり着くまでは大変でした。撮れるとは正直、思っていなかった。前作「キャッチボール屋」が(興行的に)成功はしていないですけど、いい作品を撮った、みたいにはなったかも知れない。その後(映画製作の)お声がかかったのは1回だけで、その企画も頓挫しましたから。足立も、多分、何もなくて2人で鬱屈としていました。

 -これまでの日々は

 大崎監督 07年くらいの時、本当に精神的にも追い詰められちゃって…何もできなくなりました。08年から桜美林大で非常勤教員を始めたのが、それが結果的に良かった。(担当科目は)芸術文化学群の映画専修の製作…つまり映画を生徒達が作る、それだけです。映画に少しでも関わっている…精神的に少し復活した。それでも、今回の企画を進めるのに8年かかった。復活まで時間がかかったんです。

 -復活までに心の葛藤があった

 大崎監督 どんなに小さくても、映画を作っているということだけは同じ。学生に怒ってばっかりいるんですけど…それが良かった(苦笑)精神的に追い詰められてダメになるのは、生活が成り立たないからなんです。そうなったら、人間がダメになる。(周囲から)本当に大丈夫か? と言われたくらいでした。あきらめたら、別の仕事をやるしかない…でも、それができないんですよ。無理だった。だから大学で教えるくらいしか、自分にはできなかった。それで榎戸耕史教授から誘われたんですよ。もう、これを逃したら何もない…とりあえずやりますという感じでやりました。講師は今も、ずっと続けています。

 -2本目の映画を撮れたことは大きい

 大崎監督 本当に大きいですし、すごく良かった。今、こうやってできあがって、いろいろな人に試写を見てもらって、だんだん、その思いが広がっています。

 -エンドロールには、地元・群馬を中心に、協力した関係各位の名前が並んでいます

 大崎監督 長いですよね(笑い)でも、あれが、この映画を物語っています。企業と個人協賛のほぼ全てが地元です。地元の同級生が、声をかけてくれて、1口3000円から手弁当で出資を募ったんです。シナリオ、役者、スタッフ、地元と地元の人たちの協力…そういう幾つかの要素が欠けると、この映画は完成しなかった。人と人とのつながりこそ、映画なんです。

 -タカシと藤村がブラブラ歩くシーンで使われる商店街も地元でしょうが、ご当地映画くささはなく、うだつの上がらない男2人を象徴するような印象深いシーンでした

 大崎監督 あれは高崎市の銀座通りです。僕が高校生の時、一番、栄えていた通りで、昼間から人がごった返していたのが、時代とともに変わってきて、今はシャッター通りになってしまった。高校まで過ごしたイメージがあるから、僕は絶対、ここで撮りたかった。その思いが、少しでも映っているかも知れないと、後で見て感じました。(2人の男と商店街が)近いイメージはありますね。

 -監督の人生が、実景にも投影されている

 大崎監督 やることがなくて一緒に話していた足立が、僕のことを何でも知ってくみ取ってくれたリアルな部分と、フィクションの部分がマッチングして、どれが本当でどれがフィクションか分からない世界観を作ってくれたのが大きいんです。正直言って、僕と足立の事実が半分くらい入っています。プロデューサーに台本を渡しても全然読んでもらえなくて、揚げ句の果てにダメだったシーンは、ほぼリアルです。僕と足立の話を、皆さんがどう思うのか予想だにしないまま撮影がスタートしました。

 -6月2日から7日までドイツ・フランクフルトで開催された、第15回日本映画祭「ニッポン・コネクション」で上映した

 大崎監督 すごい受けが良かったんですよ!! 6月6日午後8時(現地時間)から上映しましたが、満席でした。いろいろなシーンで受けていましたが、ラストシーンが受けていましたね。タカシのせりふで、客席がざわつくシーンもありました。「ええっ、言っちゃったよ。バカか、お前…それ言っちゃうか」って(笑い)。

 -最後にメッセージを

 大崎監督 僕と足立が思っていた、本当に身近で小さな世界が、皆さんのおかげで手応えがある、いい映画ができたのかな、と思っています。今回の役者はみんなうまくて、かつ台本を良く読み込んでもらって、本当にすばらしい仕事をしてくれたと思います。いろいろな人に見ていただきたい…決して見て損はさせません。

 「お盆の弟」に登場する男女は、皆、人生に何かを抱えて生きている。タカシは新作映画が撮れず、妻裕子(渡辺真起子)から別居を切り出されて地元群馬に戻り、がんの手術をした兄マサル(光石研)の世話をする傍ら、新作の製作に家族の再生をかけていた。一方でタカシから脚本を依頼された藤村は、自分の才能に見切りをつけ、実家の焼きまんじゅう屋に帰り、ようやくできた彼女との結婚を夢見ていた。

 離婚と結婚という人生の転機の交錯と、その周囲を取り巻く人々の人生模様…きっとどこかに、共感できるものがあるはずだ。フィクションでありながら、作り手の人生が投影された「お盆の弟」は、世知辛い現代を生きる人々の人生をも、描いているのかも知れない。【村上幸将】