秋の全国高校大会大阪府予選に向けて、ロイヤルブルーのジャージーを着用した常翔啓光学園(同校ラグビー部提供)
秋の全国高校大会大阪府予選に向けて、ロイヤルブルーのジャージーを着用した常翔啓光学園(同校ラグビー部提供)

年末年始の風物詩として知られる全国高校ラグビー大会で、かつて頂点に立ち続けた学校があった。大柄な相手に、次々と突き刺さるタックル。そこから始まる素早い攻撃-。2001(平13)年度から4連覇を果たした大阪・啓光学園(現常翔啓光学園)は、花園ラグビー場を駆け回る高校生の主役だった。

かつての栄光、全く知らなかった

あれから約20年。同校のWTB内藤楓馬(3年)はある日、学校がある枚方市内のマクドナルドで食事をしていた。突然、中年の男性が声をかけてきた。

「キミ、啓光なんか?」

視線は持っていたカバンに向けられていた。

「『今、合同チームなんです』という話をしたら『ホンマか!?』と、すごくビックリされて…。地域のおじさんも、昔の強かった時代を知っているんです」

05年1月7日、4連覇を果たした啓光学園フィフティーン
05年1月7日、4連覇を果たした啓光学園フィフティーン

野球に打ち込んでいた内藤は中学3年生の冬、高校進学が決まると、常翔啓光学園入学予定者の「LINEグループ」に参加した。まだ顔も知らない200人以上の面々が、部活動の話題で盛り上がっていた。

そこに書き込まれた「ラグビー」の文字で、部の存在を知った。入学後に部室近くで勧誘され、先輩から練習着をもらった。2年前を思い返して笑った。

「『この練習着をあげるから、入れよ』みたいな空気になって…。ラグビー部が強かったっていうことは、全く知らなかったです」

姿見せなかった2年生、離れていた心

全国高校大会で7度の優勝。「ロイヤルブルー」のジャージーで憧れの的だった名門は昨秋、部員が15人に満たなかった。

府予選には公立の牧野、枚方、北かわち皐ケ丘、枚方津田、長尾と6校の合同チームで出場した。3校が花園の出場権を得る大阪は、予選を3地区で実施している。その第2地区決勝トーナメント初戦で屈した。

状況が暗転したのは2年前だった。18年11月4日。全国高校大会大阪府予選の第1地区決勝トーナメント1回戦で、日新に12-29で敗れた。3年生は引退。OBの川村圭希監督(38)は、新チームの始動日を2日後に設定した。

選手たちに指示を送る常翔啓光学園の川村圭希監督(撮影・松本航)
選手たちに指示を送る常翔啓光学園の川村圭希監督(撮影・松本航)

だが、集合日には最上級生となる2年生が、1人もいなかった。

「『さあ、また頑張るぞ!』って言おうと思ったら、誰もいなかったんです」

翌日も、その翌日も、5人の2年生は姿を見せなかった。気付かぬうちに監督と部員の心は離れていた。

「この時の2年生はものすごい成長率でした。昔の啓光のように、相手に突き刺さるタックルを身につけていました。期待値が高い分、厳しいことも言いました。今思えば、彼らは1学年上の3年生たちがいたから、それに耐えられていたのかもしれません。『これで終わり』と思い、頑張っていたのかもしれません」

忘れたいと思っても、忘れられない出来事だった。

「こうなった以上、全て監督である僕の責任です」

1年生部員は8人いた。追い打ちをかけるように、さらに2人が部を去った。

残った1年生6人の心も揺れた。年明け1月の大阪府新人大会(10人制)は棄権。春の新入生入部により15人がそろっても、春季大会には安全面への配慮で1年生が出場できない。このままでは棄権だった。試合をするには啓光学園として1963年(昭38)に創部して以来、初の合同チームを選択するしかなかった。

取り残されていった「花園の常連」

当時の1年生で、常翔啓光学園中ラグビー部から入部したCTB大津直人(3年)は合同に反対だった。

「僕は啓中の3年間で、この高校の伝統を学んでいました。僕たちが合同になれば、啓光の伝統をつぶしてしまうと思いました」

常翔啓光学園中出身の大津直人(左)と谷村龍輝は肩を組んで健闘を誓い合う(撮影・松本航)
常翔啓光学園中出身の大津直人(左)と谷村龍輝は肩を組んで健闘を誓い合う(撮影・松本航)

大津ら現3年生は02年度に生まれた。01年度に07年W杯日本代表NO8佐々木隆道氏(36)らが3大会ぶりの全国制覇を達成すると、以降は戦後初、大会史上2校目の4連覇。08年度には20年シーズンのNTTコミュニケーションズで主将を務めた、元日本代表フランカー金正奎(28)らが7度目の全国制覇を飾った。

だが、そこから花園出場が途絶えた。

14年度の入学生からはスポーツコースが廃止。有望な中学生は他校に流れた。直近10年間で大阪からは同じ枚方市の東海大大阪仰星が3度、常翔学園(前大工大高)と大阪桐蔭が1度ずつ花園優勝。2年に1度の割合で日本一を生む激戦区で、全盛期に100人以上の部員がいた常翔啓光学園は取り残されていった。

就任8年目の川村監督は高2だった98年度、啓光学園の一員として同校2度目の全国制覇を経験した。卒業後は関東学院大へ進学し、4年間で日本一は3度。だが、自身は試合に出られなかった。

常翔啓光学園中の監督を経て、13年春から高校の指揮を執った。下降線をたどりはじめた部の立て直しは、一筋縄ではいかなかった。

「『この練習を頑張っても、ホンマに勝てるん?』という空気が流れ始めました。僕は啓光でも、関東学院大でもレギュラーになれなかった人間。うまくいかない子の気持ちは分かる」

そう自認していたからこそ、2年前の部員の退部は深い傷跡として残った。

「単独チーム」で挑むコロナ禍の秋

6人の1年生は最上級生となっていた。20年7月。雨続きでぬかるんだ土のグラウンドに、20人の部員がいた。

新型コロナウイルスの影響で、新年度の本格始動は6月中旬。約2カ月遅れの仮入部期間を経て、9人が入部届を提出した。6人の3年生、5人の2年生と合わせて合計20人。試合に必要な15人がそろった。

ぬかるんだグラウンドで汗を流す常翔啓光学園の選手たち(撮影・松本航)
ぬかるんだグラウンドで汗を流す常翔啓光学園の選手たち(撮影・松本航)

川村監督の手には、秋に行われる全国高校大会大阪府予選の参加申込書があった。学校名の左上には「単独」「合同」の欄。黒のボールペンで「単独参加」の横に丸印を入れた。

「正直、6月末までずっと悩みました。一緒に合同で戦っていた牧野高校は、3年生が1人で頑張っていました。その子のことを考えると、うちが抜けるのがいいのか…。それでも6人で頑張ってきた3年生のモチベーションは『単独チーム』で変わりませんでした」

現在の部員たちは、あの4連覇の最中に生まれた。最後に花園へ出場した08年度、現3年生でさえ幼稚園の年長だった計算になる。

主将を務めるフッカーの山本敏正(3年)は、少し恥ずかしそうに明かした。

「花園で4連覇をしたことを知らなかったです。入ってみて『伝統あるラグビー部だな』と思いました」

隣接する交野市から、常翔啓光学園へ進学を決めた。わずか5年前の15年9月、W杯イングランド大会で日本代表が南アフリカから歴史的勝利を挙げた。当時中1だった山本は「あれでかっこいいと思った」と同時期にラグビー部へ入部。中3の進路選択時に「高校は8対2で勉強を頑張ろう。ちょっとはラグビーしたいな」と考えて受験した。

「2年前に6人になった時は『えっ、マジで!?』と思いました。でもこの6人は一緒に食事をしたり、横のつながりは濃い自信があります」

それでも目指す「やっぱり啓光」

1年前の春、合同チームに反対だった大津は、川村監督との話し合いで心が動いた。救いの手を差し伸べてくれた他校がいたから、6人でも試合ができた。

「1人の3年生を残し、合同チームを出ることになってしまいました。その子の分も、単独チームとして頑張らないといけません」

大津と共に常翔啓光学園中から進学した、NO8谷村龍輝(3年)もうなずいた。

「6人では、できない練習メニューもありました。何より試合もできなかった。僕たちも他の学校から、学ぶことが多かったです」

単独チームでの躍進を誓った常翔啓光学園の山本敏正主将(右)と内藤楓馬(撮影・松本航)
単独チームでの躍進を誓った常翔啓光学園の山本敏正主将(右)と内藤楓馬(撮影・松本航)

なぜ、あの時にチームを離れなかったのか-。

マクドナルドで中年の男性に話しかけられ、先輩たちの偉業を実感した内藤は言った。

「先生が良くしてくれていたし、裏切るわけにはいかなかったです。合同を経験したからこそ、後輩たちには絶対に単独チームを残してあげたい。だから僕が勧誘で入部したように、夏も諦めずに、部員を増やす努力をしようと思います」

かつて輝いた「花園」は遠い場所になった。ポジションは奪うものではなく、与えられるものになった。

それでも受け継いできた文化がある。内藤はかみしめるように思いを発した。

「僕はチームに2人いるジャージー係でした。試合の時はジャージーを倉庫から運んで準備します。ロイヤルブルーのジャージーを地べたに置くのはありえない。太陽の当たる場所もダメで、上をまたぐのもNGです。それは川村先生や先輩に教えてもらいました。そのジャージーの大切さも、伝えないとダメですね」

単独チームとしての再出発。川村監督は言葉に間を置きながら、こう言った。

「『継承』と『創造』の理想のバランスをよく聞かれますが、明確な答えは難しい。僕の中では『芯の部分を継承したい』と思っています。外から見たら新しい。それでも試合をすると『やっぱり啓光だ』と言われるような、チームです」

3年生6人が知る「人は宝」の思い

コロナ禍で影響が懸念されるが、秋には単独チームとして2年ぶりに花園予選を迎える。監督が教え子へ向けるまなざしは温かい。

「部員6人になった時に『この子たちもやめるかも…』とトラウマになりました。3年生6人は『人は宝』ということを知っています。僕も学ばせてもらいました。どれだけ頑張ろうと思っても、人がいないとできない。自分本位ではダメ。3年生が最後までやりきることで『人の力』を下の学年に残してほしいです」

3年間の学びは、人生にも通じている。【松本航】

昨夏の合宿で笑顔を見せる常翔啓光学園現3年の左から山本敏正、佐藤侃太、大津直人、木田匡哉、内藤楓馬、谷村龍輝(同校ラグビー部提供)
昨夏の合宿で笑顔を見せる常翔啓光学園現3年の左から山本敏正、佐藤侃太、大津直人、木田匡哉、内藤楓馬、谷村龍輝(同校ラグビー部提供)
ウエートトレーニングに励む常翔啓光学園の選手たち(撮影・松本航)
ウエートトレーニングに励む常翔啓光学園の選手たち(撮影・松本航)